本年2008年10月12-13日、私のムラ卯之木集落の写真展『写真でつづる卯之木の昭和展』が
卯之木公民館で開催されました。集落の各家々から出展された懐かしい写真に来場した多くの人達が
あのころとの再会に顔をほころばせ、また涙を浮かべ、写真に見入っていました。
我が家でも母と私で、古いアルバムをめくりながら、あまりもの懐かしさにめくる手が止まりがちでしたが
できるだけプライベートな写真は除きつつ、昭和のあの頃を共有できるような写真を選び出展いたしました。
その後、写真展を終えて帰ってきた写真を眺めながら、このまま仕舞い込まずに
写真展に来られなかった親戚知人にも見てもらいたいと思い、ここで公開することにいたしました。



昭和5年の貝澤家。貝澤屋の創業が昭和3年です。
左から2人目が祖父要蔵、4人目の抱かれている子供が父榮一です。



昭和23年の祭りから傘鉾が始まったそうです。仮装あり芝居あり奏楽ありと
青年団も大活躍。前列左端が19歳の頃の父榮一です。ジャニーズ系です(笑)




昭和26年、父榮一と母キヨ(まだ結婚前)も写った青春の一枚。
最前列左端の笑顔の人は親戚の樋口虎次郎さんで県農業改良普及員でした。
樋口さんは先月9月24日にご逝去されました。



まだ砂利道だった国道117号線。
卯の木では国道沿いを旧道に対して新道なので新道端(シンドバタ)と呼んでいました。
オート三輪とボンネット・バスは私が幼かった30年代中頃にはまだ現役で走っていました。




昭和33年頃、農繁期に神社で開設された季節託児所。
ブランコの真ん中で立っているのが2歳の私、その右が姉豊子です。
あの頃ウシロ林と呼んでたブナ林が近くにあってそこによく遊びに行った憶えがあります。
また何を見たか記憶にありませんがみんなで幻灯機から映し出されたナニカを楽しんだり
境内でレコードに合わせて踊っていました。新潟県民歌を踊っていたのかもしれません。




昭和38年冬の貝澤屋前の国道117号線。もちろん自動車なんか通れません。
春が来るまで国道と言えどもこんな状態が普通でした。
左写真のスキー少女は姉豊子。右写真の左が父榮一で右でソリを引いているのは石沢清治さん。
旧越後田沢駅まで荷物を取りに行くところだそうです。自動車が走れない冬はみんなこうして
ソリを引いて重い荷物を運んだものです。私も仕事でソリを引いたことがありました。




いちばん左端に写っている嬉しそうな少年が私で小学校1年生の時です。
卯の木集落児童会の遠足の帰りに清津橋の上で写したものです。
引率の先生、私の担任だった石沢達治先生と南雲先生も写っています。
子供達の表情や雰囲気がいかにも二十世紀少年ですね。

まだまだ載せたい写真が見つかると思います。
とりあえず...つづく...ということで。