ロスタイムにご用心

第1話 ファンタジスタのリベンジ
    〜こんどこそ!ルイ・コスタと仲間達〜

 プロ野球にはそれほど興味がないので、西武の松坂が " リベンジ " で流行語大賞を受けたってことにはまったくピンとこないのだが、" リベンジ " に想いはある。
 それは'98年の夏、ワールドカップ・フランス大会の最中、サッカー雑誌の裏表紙にど〜んと" ファンタジスタのリベンジ " とキャッチ・コピーが、そして写真はロベルト・バッジオ。イタリアのスーパースター、数少ないファンタジスタのひとりが彼。この大会イマイチだったイタリア・チームにあって、しかもエースの座をデル・ピエロに奪われたバッジオが、不調のデル・ピエロに替わってピッチに登場し鮮やかな活躍でバッジオ復活をアピール。だから" ファンタジスタのリベンジ " だったのだ。


 ファンタジスタは" 夢の仕掛け人 " だ。俺流に定義すればスルーパスの名手、しかも得点能力も高い、プレイは華麗にしてしなやか。一発のパスで局面を打開できる、勝負を決する男、それがファンタジスタだ。
 スルーパスが通った瞬間のあの感情をどう伝えたらいいだろう。最高の瞬間と言ってしまえばそれでもいいのだが、たとえば豪快なロングシュートが決まる、強烈なヘディングシュートがネットをゆらす、ドリブルで何人ものディフェンダーを切り裂きシュートを決める、こんなシーンは誰だって興奮するしスタジアムは大歓声に包まれる。ところがスルーパスが通った瞬間はゾクッと一瞬息をのむ、一瞬の緊張感、その後のゴールでの歓喜。ゴールが決まって喜ぶ、でも脳裏に焼き付くのはあのスルーパスの一瞬。この一瞬の恍惚のために僕はサッカーを見続けている。
 
ファンタジスタの受難・・そう、90年代に入りサッカーがよりコンパクトに戦われるようになり、ファンタジスタは活躍の場を失いつつある。僕らが世界のトップ・レベルのサッカーをTVで観戦できるようになったのは80年以降からだと思う。その頃のサッカーにはまだファンタジーが溢れていた。たとえば'82年のWCスペイン大会。世界中のサッカーファンに愛された(と思う)ブラジル" 黄金のカルテット " ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ。彼等4人のMFを中心としたブラジルのサッカーは極上の音楽それもやっぱりサンバのリズムに乗った心地よさと興奮を兼ね備えていた。中盤でのゆっくりとしたボール回しはサンバ・カンソンのように心地よく、そしていきなりゴールに襲いかかる時、それはカーニバルのサンバのように怒濤の攻めに変わる。楽しいサッカーだった。しかも強いサッカーだった。

 '82年と'86年WCメキシコ大会のフランスもファンタジー溢れるチームだった。小気味よく華麗なことからシャンパン・サッカーと呼ばれていた。将軍ミッシェル・プラティニ、そしてジレス、ティガナ。" 魔術師達 " と呼ばれていた彼等に率いられたフランスは高い個人技、戦術眼により、中盤を速いパスワークそしてドリブルで、最終ラインの突破はダイレクト・パスを多用し相手ディフェンダーをズタズタにした。

 だがファンタジスタ達のチーム、ブラジル、フランスも優勝の美酒には酔えなかった。'82年はカウンター・アタックの本家イタリアが、'86年はマラドーナのアルゼンチンが優勝した。'86年のマラドーナは別格だった。ファンタジスタを超越した全能の神だった。'86年メキシコのマラドーナはすでに" 伝説 " となった。


 '90年頃からは最前線と最終ラインの間隔が狭くなる傾向が顕著化してくる。この'90年前後の数年間、世界のサッカーに君臨したのがイタリアの名門クラブACミランだ。この時代のミランはフリット、ライカールト、ファン・バステンのオランダ・トライアングルの活躍で有名だと同時に" ゾーン・プレス " というプレッシング・フットボールの完成型を披露したチームだった。最前線と最終ラインの間隔を狭くし、常に数的優位を保ちゴールへ突き進む。ミランでは機能した。タレントが豊富だったからだ。スピーディーで攻撃的なサッカーが実に魅力的だった。

 タレント不足のチームはどうだろう。結局狭い地域の戦いで相手チームの長所を消すことに終始し、つまらないゲームが多くなる。負けないサッカーが横行しファンタジー溢れるサッカーは過去のものとなったかのようだ。


  ファンタジスタのリベンジ・・・

 希望の星はルイ・コスタだった。ポルトガルの10番、そしてイタリア・セリエA、フィオレンティーナの10番がルイ・コスタだ。しなやかなのだ、とにかく、ドリブルもパスも。スピードもある。タフにフィールド上を駆けめぐる。強烈なロング・シュートも放つ。まさに'90年型のファンタジスタの登場だった。フィオレンティーナでの彼のプレイに魅せられ'96年のヨーロッパ選手権ではポルトガルを熱烈に応援した。この時のポルトガル・チームにはMFに素晴らしいタレント達がいた。ルイ・コスタの他、ユベントスで活躍中のパウロ・ソウザ、パルマのフェルナンド・コウト、そしてバルセロナの攻撃の要ルイス・フィーゴ。ため息の出るような若きファンタジスタ達がリードするポルトガルのサッカーはショート・パスを多用しながらゴールへ突き進むサッカーだった。個人技、戦術眼に優れ、誰からもスルーパスが出るしドリブル突破ができる、ただチームには決定力が不足していた。面白いサッカーで快進撃したが、決勝トーナメントに入ってカウンター・サッカーのチェコに破れた。


 2000年6月ヨーロッパ選手権、ルイ・コスタとポルトガルの仲間達が久しぶりに表舞台に登場する。いまや円熟の境地に達した感のあるルイ・コスタ、ルイス・フィーゴ、パウロ・ソウザ。彼等がフィールドをファンタジスタ達のものとするか、それともオランダのダービッツ(ダイナミックで好きだけど)のような猟犬型MFの軍門に下るのか、興味は尽きない。

  僕はひたすらルイ・コスタと仲間達の健闘を祈る。

  サッカーの未来はファンタジックであって欲しいからだ。

                         (1999年12月30日)