While My Guitar Gently Weeps


 トシがバレバレなタイトル、ちょっとはずかしいっス。音楽が好きでしかもギターが好きなひとなら、誰だって自分の持ってるギターとの間に、ちょっとした物語を持っていると思う。イヤ持っているはずだ。ぜったいに持ってるんだってば!!。
 そこでぼくとギターのショート・ストーリー。

その1.'77年のMartin D-45 、そして'66年のGibson B-25
その2.
Fender E.Clapton Stratocaster と
     
Rickenbacker 360/12
その3.
Gibson SG '61 Re-issue と
      
Gibson Les Paul Standard 40th Anniversary

  While My Guitar Gently Weeps .2
  While My Guitar Gently Weeps .3
  
While My Guitar Gently Weeps .
  
While My Guitar Gently Weeps .


 その1.ニール・ヤングと友部正人

      '77年のMartin D-45 、そして'66年のGibson B-25

 ニール・ヤングとD-45

 '70年「ミュージックライフ」の新年号、付録ポスターはクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングでした。その時は知らなかったんです、彼らがスーパー・グループとして注目されてることを。その1年後に僕はCSN&Yの虜でした。音楽雑誌のグラビアにもよく登場していました。4人が椅子に腰掛け、4人同じギターを持っていました。それがMartin D-45 。以来D-45 は僕の夢のギターでした。

 30代半ば、ようやくこのギターを手に入れ最初にやったことは、チューニングをオープンDにしての「青い目のジュディー」。もちろんCSN&Yの曲です。
 CSN&Yの中でも特にニール・ヤングには強く惹かれました。'71年のCSN&Yのライヴ盤「4 Way Street 」はスリ減る程聴きました。(スリ減る程聴く。なんて死語ですか?)中でもニールの曲が一番好きでした。アコースティックで唄う"OnTheWayHome"と"Cowgirl In The Sand" そしてエレクトリック・セットの"Southern Man" 。" サザン・マン " には感動しました。涙が出るくらいに。僕はこの曲で、ギタリストとして必要なのは、正確な運指と正確なピッキングじゃないってことを学びました。その時々の感情をダイレクトにギターにぶつける直情型のギターこそ、ニール・ヤングの魅力です。でもこの人、エレキとアコギで性格が一変します。

 日本でニール・ヤングの人気を一般的にしたのが '72年のアルバム「ハーベスト」そして"ハート・オブ・ゴールド"のヒットでしょう。僕はまたしてもスリ減る程聴きました。ちょっとカントリーっぽい、ダウン・トゥ・アースなサウンドが心地良かったし、ニールのちょっと鼻にかかったハイトーン・ヴォーカルによるナイーヴ攻撃が全面展開って感じで、一挙にニール・フリークが増殖した時代でした。
 ストレートな長髪、チェックのネルシャツ、パッチだらけのジーンズ。そして眼光鋭いナイーブな長身の青年が背中を丸め抱え込むように弾いていたギターこそMartin D-45 。あのころアメリカは遠く、ギターは高かった。


  友部さんのB-25

 高校生だった頃、友部正人の「一本道」と小坂忠の「機関車」を聴かなかったとしたら、僕は日本の歌に興味を持てず、洋楽ばかりを追いかける音楽好きになっていたと思う。歌詞が理解できなくたって本場のロックの方が絶対にカッコよかった。
 ところが、「一本道」を聴いてしまった。「機関車」を聴いてしまった。共にラジオで初めて聴いた。唄がホントに心に届いてしまった。こんなことは初めてだった。

 「機関車」の頃の小坂忠はジェイムス・テイラーだった。GibsonのJ-50を抱えてダンガリー・シャツにストレート・ジーンズにワーク・ブーツ。ちょっとフラットぎみに唄う感じはJ.Tそのもの。スタイルはJ.Tでも小坂忠っていう個性はシブく光っていた。

 友部正人「一本道」の衝撃は「機関車」以上だった。唄として吐き出される言葉のひとつひとつが生き物のようにリアルだった。あの塩辛い、友部さんの魔法の歌声によって、詩的な言葉が動き出すのだ。トーキング・ブルース「大阪へやってきた」の壮絶な唄いっぷりはどうだ。嵐のようなハープ、疾走する車のごときパワフルなギター。日本人によるブルース表現で「大阪へやってきた」を超える唄をまだ知らない。

 そんな友部さんが'86年、僕達の津南町「我楽多倶楽部」へ唄いにやってきた。シャイで笑顔があったかい素顔の友部さん、唄いだすと・・・やっぱりシャイで誠実に歌と向き合う友部さんがいた。友部さんが津南・十日町へ唄いにやってきたのは8回を数える。使用したギターもギルド、ギブソン、エピフォンとさまざま。僕が一番気に入ったのがギブソンB-25。あまりポピュラーなギターじゃないが、ちょっと小ぶりなボディのわりに鳴りのよいギターだ。なにより、持ってるだけでシブイ。
 持ってるだけでシブイB-25を僕も手に入れた。すごく良く鳴る。でも友部さんのほどは鳴らない。当たり前だ、友部さんとB-25は30年近いつき合いのはずだ。数えきれない程のライヴを共にしてきた歴戦のギターだ。こうゆうギターには風格がある。
 僕のB-25には風格がない。僕のせいです。

 


その2.エリック・クラプトンから始まった旅

     Fender E.Clapton Stratocaster と Rickenbacker 360/12

 僕がマジでロックを聴き始めた'70年、エリック・クラプトンはすでに「ギターの神様」と呼ばれていました。クリームの「ライヴ クリームVol.2」がクラプトン関係で最初に聴いたレコードでしたが、ああ神様なんだと納得しました。クリームといったら" クロスローズ"でしょう。まるで堰を切ったように流れ出すイマジネーションあふれるクラプトンのギターが圧巻です。僕が何故、クラプトンに惹かれるのか?は今なら言えるように思います。センチメンタル、感傷的な切なさです。若い頃から一貫して、クラプトンのギター、ヴォーカルには憂いや翳りが滲み出てしまう。クラプトンに対する好き嫌いってこのへんにあるかもしれませんね。

 僕の大好きな英国のミュージシャン、スティーヴィー・ウインウッド、リチャード・トンプソン、そしてクラプトン、この3人には共通したセンチメンタルな感性を感じます。
 僕がエレキを弾き始めた頃、導師はもちろんクラプトンでした。ただ僕は、ギター・フレーズを完コピするような事には全然興味がなかったんです。音楽的な背景の方をコピーしたかったんです。そりゃあ僕は日本人で英国人ではないけど、どんな音楽に影響されてクラプトンが在るのかってのに興味がいっちゃったんです。

 まずブルースです。単純に3大キングを聴きました。はまりました。もう一方の太い幹、米国南部音楽、デラニー&ボニーからの流れです。完璧にはまりました。クラプトンそっちのけでブルースやデラボニ周辺、レオン・ラッセル界隈を聴きまくり、デュエイン・オールマンからサザン・ロック、そしてクラプトンにとっては一時目標とした音楽だったザ・バンド。

 エリック・クラプトンから旅に出て、結局20年くらいクラプトンに対して興味を感じずに過ごしました。神棚の上にあげたまま。'90年頃からか、クラプトンの生き生きとした唄とギターが気になりだしました。ふっきれたようにブルースを唄い弾くクラプトンがいました。クリーム時代の曲を我が物顔で演奏するクラプトンがいました。そしてやっぱり哀愁のクラプトンがそこにいました。ソルダーノのアンプにフェンダー・E.クラプトン・シグネイチャー・ストラトのベスト・マッチ。おいおいクラプトンって絶好調だぜって、僕はすごくうれしくなりました。


  リッケンの12弦と言うと・・・

 そりゃあロジャー・マッギンでしょう。バーズの「ミスター・タンブリン・マン」には、いつ聴いてもウットリしてしまうな。もちろんディランの曲だけど、'65年のこのバーズのヴァージョンがヒットしたことによって、ひとつの扉が開かれた?とか言われる歴史的な曲ですね。まあそんなことヌキに、僕にとってバーズのこの曲はまさにエヴァーグリーン。褪せることのない名曲です。当時マッギンはビートルズが大好き。ジョージ・ハリスンの弾くリッケンバッカーの12弦を見て、すぐに同じギターを購入。髪の毛を伸ばし始めたんだって。最初はみんな同じだね。


 その3.”スカイ・ドッグ”オールマン

   Gibson SG '61 Re-issue と Gibson Les Paul Standard 40th Anniversary

   デュエイン・オールマンの吠えるギター

 アメリカ南部音楽に浸っていた'70年代、アメリカン・ロックには素敵なスライド・プレイヤーがたくさんいた。ライ・クーダー、ジェシ・エド・デイヴィス、ボニー・レイット、ロウエル・ジョージなど、そして誰がなんと言おうと 僕のスライド・キングはデュエイン・オールマン。" 空を翔る犬"のようなスライド・プレイは死後28年たった今でもまったく色褪せることなく、僕のハートを鷲掴みする。

 デュエインは'71年10月29日、ハーレーで疾走しそのまま逝ってしまった。享年24才。デュエインおよびオールマン・ブラザーズ・バンドに興味を持ったのとデュエインの訃報を知ったのが同じ頃だった。好きになったとたんに逝ってしまったってのはジミ・ヘンもジャニスも同じ。3人とも死の直前は身も心もボロボロだったって話がある。もの凄くハイ・テンションな日常を生きていたらしい。そして残した音楽は不滅の輝きを放っている。

 オールマン・B・Bはツイン・リード・ギターにツイン・ドラム、オルガン、ベースの編成。圧倒的な演奏力に加え希代のヴォーカリスト、グレッグ・オールマンがソウルフルな喉で叫びささやく。「フィルモア・イースト・ライヴ」は彼らの頂点の記録であると共に、ロックのライヴ・アルバムとしても屈指。レーナード・スキナードがトリプル・リード・ギターで売り出したけど、3人束になってもデイッキー・ベッツ一人にかなわない、デュエインはその上に君臨し、しかもヴォーカルがグレッグ。こんな凄いバンドがあったってだけで奇跡的だな。

 デュエインのスライド・ギターはまるで生き物のようだ。雄叫びのごときスライドが炸裂する「ステイツボロ・ブルース」。天使のハミングのような「レイラ」のスライド。もっともっと、アイツのギターが聴きたかったな。

 デュエインのメイン・ギターはレスポール。だけど、スライド専用に使っていたSGのイメージが僕には強く、このギブソンの中でも地味で不人気なエレキを手に入れた時にはもう有頂天。こすって、こすって、こすりっぱなしのSGです。


   
エレガントなブラック・ビューティー

 ギブソンのレスポールといったら、やっぱトラ目のサンバースト、レモンドロップなんかが人気なんでしょうね。先のデュエインもきれいなトラ目のレスポールをメインに弾いてました。でも、40th アニバーサリーの黒いレスポールもグッド・ルッキンですよ。黒いボディにクリーム色のソープ・バー・タイプのPU。貴婦人てな感じ。先のグレコ・ゴールドトップ・レスポールのところで書いたけど、この黒いシングル・コイルのレスポール、ニール・ヤングに憧れ彼のレスポールのように改造することを前提に購入しました。ビグスビーのトレモロを取り付け、PU カバーをシルバーに塗装すれば完了。の、はずがこの貴婦人、あまりに素敵で手を出せなかった。

 ベックの「哀しみの恋人達」とかサンタナの「君に捧げるサンバ」なんかが似合いそう。そのうち練習してみようかな。


 発見!!!「ジージートップのミニチュア・ギター・サイト」
       
http://www.fubuki.com/ggtop/
 
ギター好きなら必見ですよ。