2008年に読んだ105冊...音盤日記読書録より

1月***********************************

小池真理子『望みは何と訊かれたら』
 本書の初めに英詩の一節があり、唄ったマレーネ・ディートリッヒとシャーロット・ランプリングの名前、そして映画『The Night Porter』が記されていた。映画は邦題『愛の嵐』でレザー・ディスクで持っているけど、でも内容もその歌も忘れてしまったので、ちょっとネットで調べてみたらこの詩の訳が載っていた。切なく素敵なので引用します。(匿名でした)
    『望みは何と訊かれたら』の一節
   望みは何と訊かれたら 小さな幸せとでも言っておくわ
   だって幸せすぎたら 悲しい昔が恋しくなってしまうから
 この小説は以前読んだ『恋』『無伴奏』に連なる作品です。小池さん自らの青春とも重なる時代'70年代前半とそれを回想する現在が舞台。学生運動、過激派、闘争、愛と退廃を絡め、あの時代に生きたひとりの女性を描きます。どうしてもこれを書きたかった小池さんの熱さに圧倒される思いです。ヴァニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」が " 俺を解き放ってくれ!" と歌い、それを聴きながら男女は二人だけで繭の中に籠もる。ほんとに欲しいものは何?と訊かれたら....。

海野弘『陰謀の世界史』
 フリーメイソン、ユダヤ、ロスチャイルド、CIA、KGB、モサド、ヴァチカン、マフィア、ナチ・第四帝国、エイリアン・UFO...これらなくして陰謀謀略小説は始まらないってほどの有名どころが登場。本書は陰謀史観=コンスピラシー・セオリーについての本なのです。コンスピラシーの本場はアメリカだとあります。アメリカでは陰謀史観が大衆文化となっているんだとか。身の回りに起こる不思議なできごとはきっと誰かの陰謀に違いない、と考えることの好きな国民らしいです。そういえばこの前新聞に「06年のギャラップ社の世論調査で、米国人のほぼ半数が「人類は過去1万年以内に神によって現在の姿に創造された」と回答した。」というのが載ってました。キリスト教の影響なんでしょうかね。宗教に限らず、何処の国の建国神話もじつに手前勝手に出来ているようです。「はじまりがあって今があるのでなく、今から逆にはじまりがつくりだされる」からでしょうかね。

上橋菜穂子『精霊の守り人』
 「今でも絵地図の入った本が好きだ」と俺が思ってたことを文庫本解説の恩田陸が書いていた。これは異世界ファンタジーです。絵地図を眺めてその世界を想像するところからスタート。そういえば小野不由美『図南の翼〜十二国記』も児童文学の扱いだったため知らずにいて損をした気分だったけど、この『精霊の守り人』も今まで知らずにいてもったいないことをしました。こんな面白い本がシリーズで出ていたなんてね。ヒロインのバルサの造形がいいなあ。女30歳、短槍操る用心棒稼業、大柄ではないが筋肉引き締まった柔軟な身体つき、長い脂っけのない黒髪をうなじでたばね、化粧ひとつしていない顔は日に焼けてすでに小じわがみえる、黒い瞳には驚くほど強い精気がある、アゴはがっしりしている、容易に手玉に取れぬ女である、など...。そんなバルサが皇国の皇子を助けての冒険譚だ。ストーリーの面白さだけでなくアクションシーンの描写が素晴らしいよ。さあて続編どんどん読むぞ!

島本理生『クローバー』
 とっても面白かった。以前読んだシリアスな『ナラタージュ』とは表情が違ってこちらはユーモアと明るさがある。作者に言わせると恋愛・青春小説というより " モラトリアムとその終わりの物語 " だそうだ。ふり返って思うに、(とりあえず俺の)青春なんてかっこわるかったな。恥ずかしくみっともないアレヤコレヤはたくさん思い出せるよ。でもあの時期がなけりゃ今の自分はないと思えるし。え〜い青春のばかやろ〜(笑)

ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』
 (たとえば、会話がひとつもないような探偵小説をいったい誰が読みたがるだろうか?)と後書きでナボコフ自身が書いてますね。たしかに探偵小説を含めエンターテイメント小説を中心に読んでいる俺のようなお手軽読書派にとって会話の少ない小説は苦手なんです。この『ロリータ』も読み始めから中程までツラかった〜。第二部、ロード・ノベルというかロード・ムービーとして物語がイメージ出来てきてからようやく面白味を覚えました。巨匠というのは表現が豊かというより豊か過ぎて溢れ出てくる人なんでしょうね。ちょっと言葉の奔流に溺れそうになりました。というかまあほとんど溺れていて、ようやく岸にたどり着いた読書でしたねえ。

山本幸久『渋谷に里帰り』
 相変わらず面白くてぐんぐん読んでしまった。お仕事&青春小説として『凸凹デイズ』と背中合わせの小説ですね。渋谷か〜回想〜十代の終わり'74〜'76年頃の渋谷は俺が一番親しんだ街でした。(小説は今の渋谷が舞台ですよ)道玄坂のヤマハと宇田川町のシスコと公園通りのディスクユニオン、そのまま原宿まで歩いてメロディハウスそして表参道のキディランド、青山通り歩いて渋谷に戻る、これが俺の渋谷デイズでしたね。シュガーベイブや渡辺香津美のライブをタダで楽しんだのも渋谷だったし、なんか懐かしいな。それでこの『渋谷に里帰り』だけど、NHK出版なんですね。だからTV化されたらいいね。人物造形が上手くTV向きな小説だと思うし。

2月********************************

北方謙三『水滸伝 十六』
精強を誇った史進の遊撃隊を手玉に取る禁軍の童貫強し。燕青と洪清の体術による静かで壮絶な闘いが凄い!。公孫勝がついに青蓮寺を急襲。新たにラストへの序章が始まった感じ。

海野碧『水上のパッサカリア』
情念系ロマンティック・ミステリーかと思ってましたが、意外やあっさり淡々系。回想が含まれたストーリーだからもあるけど、このさっぱりしたタッチは作者の持ち味でしょうか。ストーリーも登場人物も良く出来ているのに、俺はもうちょっと濃い〜方が好きかな。

樋口有介『ぼくと、ぼくらの夏』
 青春ミステリーです。と、自分で照れてる。もっと大人のミステリーを読めって。主人公達の親だって俺より若いし(笑)。でも好きなんだよ青春ミステリーとか学園ミステリー。樋口有介は『彼女はたぶん魔法を使う』が俺的に好印象なんだけど本作もとても面白かった。高校生の主人公がハードボイルドよろしくワイズクラックを使うんだよね。ナマイキなやつだ(笑)。" NHK少年ドラマシリーズ " な感じで懐かしさもある。もしかしてホントにドラマ化されたのを見たことがあったのかも...?。

今野敏『リオ』
 警視庁強行犯係・樋口顕シリーズです。以前読んだ同シリーズ『朱夏』が面白かったので読んでみたけどこれも良かった。当然警察小説でミステリーで、ストーリーも登場人物の出来も良い小説なんだけど、主人公のヒグッちゃん(樋口顕)がねぇ...真面目人間でいつも悩んでるわけさ(笑)。どうも悩みの根底には昭和30年前後生まれの世代というものがあるんだね。ヒグッちゃんは昭和30年生まれで作者今野も30年生まれ。31年生まれの俺と同世代なんだよね。「全共闘には乗り遅れ、遊びの世代にもなれなかった..」「私達は、常に全共闘世代の残飯を食わされてきたんです。」という思いの強いヒグッちゃん。同じ年の妻には「あなたは被害者意識がつよすぎるのかも..」と言われてしまうヒグッちゃん。作者の思いなのか全共闘世代への批判をやたらに口にするヒグッちゃんに俺はちょっとシラケ気分(どうせ俺達シラケ世代だしw)。学生運動全共闘を世代と結びつけるとこにムリがあるでしょう。団塊世代の大学進学率は1割程度だったらしいし、地方農村からは中卒で集団就職した所謂「金の卵」が都会の工場や商店で多く働いていたし、だから全共闘運動してた大学生なんてほんとごく一部だったはず。たしかに俺の世代にとって団塊の世代って目の上のたんこぶに思える時もあるけど、作者のようにイコール全共闘世代と書かれると違和感を持っちゃうね。小説は面白かったけど、そこだけ妙にひっかかった。

穂高明『月のうた』
 登場人物が澄んでいて瑞々しく綺麗な小説でした。そして読みながらちょっと涙が滲み出ちまいました。歳とったら涙もろくて...ね。主人公は中学生の民子で、小学生の時に母親を癌で亡くしている。父と祖母がいて継母がいる。物語は民子の語りから始まり、継母宏子の語りになり、亡き母の親友祥子の語りとなり、最終章は父亮太が語り手となり、それぞれの立場から民子や家族への思いが語られる。民子が大学生として東京へ旅立って行くとこで物語は終わるんだけど、まだこの先、民子を始めみんなのその後の暮らしぶりに触れていたくなるような、別れがたいような素敵な小説でした。

堀口大學翻訳詩集『月下の一群』
  
蜜蜂が怖いやうに 私には接吻が怖い。
  夜も寝られずに 僕は心配だ。
  僕には接吻がこはい!
    :
    :
  今日は聖ヴァランタンのお祭だ!
  今朝僕はかの女に云はねばならないのだ......
  でもそれは 何と云ひにくいことだ
  ああ、聖ヴァランタンのお祭はつらい日だ!
    :
  ポオル・ヴェルレエヌ「若い哀れな牧人」より 
 毎日2、3篇づつ読み続けている堀口大學翻訳詩集『月下の一群』ですが、2月14日、今朝たまたま(ほんとだってば!)開いて読んだ詩がこれだった。ほんとにたまたま...。

高橋克彦『天を衝く 2』
 この第1巻は昨年読みました。なんで間が空いたかと言えばこの主人公九戸政実に違和感を覚えたからで、けど全3巻買ってあったから読まねばもったいないし、それにとても評判の良い作品ではあるのですよ。戦国時代陸奥南部氏の一族九戸党を束ねる九戸政実の物語。戦記戦略小説として面白く読めるけど、武士の滅びの美学ってやつが好きじゃないからな。

上橋菜穂子『闇の守り人』
 『精霊の守り人』の続編です。生まれ故郷カンバル王国に養い親ジグロの汚名を晴らしに帰ったバルサ。活劇が冴えまくった『精霊の..』とはすこし趣が異なり、本編では心理面で多くを語らせているようです。地底世界とそこに棲むもの達をファンタジックに描くワザは流石。物語の楽しさを堪能しましたよ。

川上未映子『乳と卵』
 ページ開いたとたん、改行がなく句点もカギ括弧も極めて少ない文章のベタさが目に飛び込んできて、うわ〜これ苦手かも?と思いながら読み始めた。ところが不思議とすらすら読めてしまった。大阪弁で饒舌な口語調の文体は、かなり練り込まれたワザが詰まっているとみた。面白かった。登場人物は女3人だけ。豊胸手術と生理...。男として興味深くもありました。ぱちぱちぱち。

北方謙三『水滸伝 十七』
 全十九巻の十七巻目で、どうも総帥童貫率いる禁軍との戦いがクライマックスとなる予感。原典にあったような、朝廷に帰順し官軍として宋の外敵遼、方臘などとの戦いに駆り出され、過酷な戦いの中多くの同志が死んでいく梁山泊の終焉...といった話しとは違った結末になりそうだ。それにしても敵ながら天晴れな童貫軍の強さ。そろそろ轟天雷の大砲に活躍して欲しいが、次の巻あたりに起死回生の一発ってのがあるかな。早く読みたいけど終わってしまうのが寂しいような。

3月***************************

アゴタ・クリストフ『悪童日記』
 「ぼくら、けっして遊ばないんだ。仕事をするのさ。勉強をするのさ。」。主人公で日記の書き手である双子の少年は戦時下疎開児童で、国境近くの小さな町で祖母と暮らし始めた。そこで人間の営みの内、死、飢え、性行為、暴力、殺人など、子供から遠ざけておくような事柄を主人公の目の前に置く。双子は怯まず逞しく生き抜く。シリアスな題材なのにユーモアをそして魂の独立とニヒリズムを感じさせるのは何故か?いろいろ考えさせられる事も含めて、わくわくさせる面白い小説だった。

永井するみ『グラデーション』
 「...焦ったところで、いつもの歩調で進むことしかできないのだし。ゆっくりでも歩き続けていれば、周りに見えている色は、グラデーションのようにすこしずつ変わっていくだろう。...」と本文にありました。娘のために、いつか使えるアドバイスとしてその時まで記憶してとっておきましょうか(笑)。

垣根涼介『借金取りの王子』
 リストラ請負面接官村上真介が活躍した『君たちに明日はない』の続編。相変わらず面白いワケのひとつはそれぞれ職種のリサーチが綿密なこと。もひとつは登場人物の生々しさ。話しの落とし所が一見ドライでじつは浪花節だったりで、そんなホロリとさせかたも上手いと思う。

上橋菜穂子『夢の守り人』
 守り人シリーズの3作目ですね。今回のテーマは「夢」に囚われるお話しで、なんだか難しかったな。面白かったけど、バルサ大暴れの冒険活劇を読みたい気もしました。まあ続編もあることだしね。

ウィリアム・フォークナー 加島祥造訳『八月の光』
 
加島祥造と言えば俺にとってデイモン・ラニアン『ブロードウェイの天使』の翻訳者なんですが、そんな加島さん、『求めない』が相田みつを的に人気を博したことに戸惑っている様子で、ある雑誌に、私はもともとは「求める」人だったといい....老境にさしかかり老子の思想に共鳴した中で生まれたのが『求めない』だったとありました。そして数多く翻訳した小説の中で満足しているのはフォークナーの『八月の光』だとあったので、それで読んでみました。名作と名高いウィリアム・フォークナー『八月の光』読了。長かった〜。大河ドラマだな〜と思いながら読んでいたけど、実際には11日間のドラマだったんですね。リーナは臨月の身で男を追って旅に出る。アラバマからミシシッピーの田舎町へ。彼女は素朴で明るく逞しい。リーナの存在がこの物語の救いであり光だったんだな、と読み終わって思う。リーナは映画『風と共に去りぬ』でスカーレットが言った台詞「After all, tomorrow is another day」〜明日という日がある〜を思い起こさせます。そして八月の強烈な日差しには当然漆黒の影が背中合わせ。その影の存在、もう1人の主人公ジョー・クリスマス。結局彼の存在が気になって、なにか消化の悪いものを飲み込んだ感じも残ります。長い小説でしたが、それが苦にならず楽しめたのは、ひとつに加島さんの詩人らしい言葉の美しさと流れの良さがあったからだと思います。機会があったらデイモン・ラニアンも読み返してみたい。

4月******************************

北方謙三『水滸伝 十八』
 ついに初陣!麒麟児楊令、青い疾風となって戦場を翔る。しかし多くの英傑が散る中、まさかのあの人も白い世界に旅立つ。さあて次が最終巻だ。原典からは遠く離れた物語となった北方水滸伝、いったいどんなラスト・シーンに立ち会わせてくれるのか、今からぞくぞくする。

山崎ナオコーラ『カツラ美容室別室』
 直木賞落選作。以前そのペンネームの可笑しさと『人のセックスを笑うな』というタイトルについ吸い寄せられて読まされてしまった山崎さんです。今回もサラッとさっぱり系です。「男女の間にも友情は湧く。湧かないと思っている人は友情をきれいなものだと思い過ぎてる。友情というのは、親密感とやきもちとエロと依存心をミキサーにかけて作るものだ。ドロリとしていて当然だ。」だそうですよ。友達以上恋人未満小説ですかね。

トルーマン・カポーティ 村上春樹訳『ティファニーで朝食を』
 カポーティは二十歳の頃に『冷血』を読んで印象深く、『ティファニー...』はなんといっても映画でオードリー・ヘップバーンのイメージが染み込んでいて、だからカポーティと『ティファニー...』ってのが俺の中では結びつかなかった。初めて小説で読んでみて、なんて鮮やかでキレの良い小説なんだろうと感心した。ラヴ・コメディ調だった映画とはたしかに違う、だけどやはりシャレていてかっこいい。

永井するみ『ビネツ』
 高級エステティック・サロンを舞台としたミステリー。ゴッドハンドと呼ばれたトップ・エステティシャンの謎の死がスリラーをも伴う。静かに流れるこの小説の背景には甘い香りとエステされているような心地よい触感がある。それでもヒンヤリと怖い。嫉妬が悪意に収束していく様のおぞましい感触。永井するみは巧いなあ。

エルモア・レナード『キューバ・リブレ』
 面白すぎる!流石エルモア・レナード!。レナードと言えば街の悪党、都会のピカレスク=悪漢小説が抜群に面白い作家として俺は大好きなんだけど、今回の舞台は19世紀末のキューバ。ヒーローはニューオーリンズ出身のカウボーイ、ベン・タイラー、ヒロインは行動的で勝ち気な美女アメリア・ブラウン。このふたり、かっこいいよ。主人公に限らず登場人物の意気の良さがレナードの巧さ。キューバ人、統治するスペイン、ちょっかい出すアメリカ、これらの人々が入り乱れ物語はダイナミックに突き進む。キューバなのにウエスタンな香りがスパイスとなって効いてるし、まさにエンタテイメント!。4万ドルの身代金に添えられた〈アメリア・ブラウン キューバ・リブレ(自由キューバ)のために〉の書き込みが、読了後意味深に思えてきた。まだ面白さを引きずってる(笑)。

東野圭吾『流星の絆』
 東野らしい情感に溢れたミステリーですね。哀しみの有り様を描くのが巧いのかなあ。心のひだにミステリーが絡まっているから、微妙な心の揺れで物語りがどっちに転ぶかわからないスリル、こうした仕立てが東野ミステリーの魅力だと思う。

北方謙三『水滸伝 十九』
 これで北方水滸伝全十九巻読了。淋し〜終わってしまった。けど終わってない。楊令がいるもんね(笑)。それにしても北方水滸伝..凄かったなあ..面白かったなあ..男男男..闘い戦い戦い...だったなあ。読み終えて思うのは、これってハードボイルドだったのかも。会話と行動と背負ってるモノで物語をドライヴさせてる。説明なんかしないんだよね。セリフとアクション。古典水滸伝を換骨奪胎してハードボイルド・エンタテイメントとして見事に甦らせた北方謙三の剛腕に拍手拍手!。原本のような、取り込まれ利用され衰え散っていく梁山泊の終焉にやるせなさを覚えていたから、この北方水滸伝の潔い終わりかたには満足です。さあてこれからは『楊令伝』だねえ。

山口隆『叱り叱られ』
 サンボマスターのフロントマン、あの丸顔メガネ小太りのギタリスト、なにか他人とは思えない(笑)山口隆の対談集です。対談の相手は山下達郎、大瀧詠一、岡林信康、ムッシュかまやつ、佐野元春、奥田民生。山口がロックンローラーとしてずっとリスペクトしてきたというこの人選が抜群に良い。この本は" このメンツ " を選んだセンスに尽きる。ナマイキな質問がちょっとスリリングで楽しめた大先輩方に比べ兄貴的な奥田になると和みすぎていて話しが深まらずつまらなかったね。1976年生まれの山口隆、俺が二十歳の時に生まれたこのロックンローラー、なにか生真面目なポジティブさが心配になるような...(笑)。それで岡林がやんわり諭すわけ、ビートルズの初期の曲、あのアホみたいな歌詞の歌が結局は革命を起こしたわけで、ジョン・レノンの「イマジン」のようなメッセージ性の強い曲はそこまで革命は起こせなかった。何かを訴えようとか世界を変えようと思って作った歌にはあまりろくなものがない、と元フォークの神様は語るのです。

5月*****************************

ラサール石井『笑いの現場』
 著者は俺と同学年だから、ここに書かれている内容に納得出来る事柄も多い。小学校、中学校、高校それから20代と同じ流行の中、同じ流行り番組を見て過ごしてるわけだから。ただ笑いってのは個人的なことだから好き嫌いはそれぞれだよね。本書が面白いのはタイトルどおり現場の視点、プロがプロを評するってことなんですね。いかにも"新書"的気安さで読めました。

伊集院静『羊の目』
 あらためて伊集院静に圧倒された。伝説のヤクザにしてサイレントマン神崎武美に惚れ惚れする。『海峡』にも感じたことだが、闇社会に生きる男の任侠をこれでもかとストイックに美しく描ける伊集院静っていったいナニモノ!? このヒーローもストーリーも文句なしの素晴らしさ。小説の醍醐味を味わいました。 

金原ひとみ『アミービック』
 ああもうトシだ、もうオヤジだ、もうジジイだ、俺にはこんな若い娘の小説はわかんねえ(笑)。まあね、ところどころ面白いし話しの内容がわかんないわけじゃないんだけど、読んでいてとても退屈。身に入ってこないんだよね話しが。やれやれとため息が出るくらいで。摂食障害の女性が書いた錯乱状態の錯文...だけじゃねえ、これで終わりなの?って感じで肩すかしだったし。気を取り直して瀬尾まいこ読もう。

瀬尾まいこ『戸村飯店 青春100連発』
 大阪下町の中華飯店の兄弟ヘイスケとコウスケのドタバタ(ほどでもないけど)青春小説。程良い軽さですらすら読めて楽しい読書でした。

ジョー・ヒル『ハートシェイプト・ボックス』
 アメリカン・ホラーは久しぶりだったな。ロック・スターのジュード(54歳)と恋人ジョージア、ふたりを狙う悪霊クラドックはジュードの元恋人フロリダの義父。チューンナップした'65年製マスタングに乗ってのN.Y.〜ジョージア〜フロリダ〜ルイジアナと大陸縦断ワイルド・ドライヴ、ホラーにスプラッターと、まさにアメリカン・ホラー・ムービー。で、何故か怖くないのはあまりにジュードとジョージアが満身創痍で旅を続け、おいおい大丈夫?な感じが先に立つから、ホラーっ気が失せちゃったりして(笑)。幽霊本来の怖さの違い、このへんはアメリカンだね。日本と怖がらせ方の本質が違う。ちなみに『ハートシェイプト・ボックス』はニルヴァーナの曲名からとられているし、愛犬の名がAC/DCのアンガスとボンだったりで、作者のロック好きが作品に横溢しています。物語の底流には世代の断絶が流れているし、これもロック的。ところでロック好きな作家として有名なのがホラーの巨匠スティーヴン・キング。噂ではジョー・ヒル、キングの息子だとか。なんか愉快だ。

今野敏『隠蔽捜査』
 参った。面白かった。警察小説でこの主人公のようなタイプは初めてだ。最初は憎たらしかった。東大以外は大学じゃないとフツーに話す警察庁のキャリア官僚で、もちろん仕事が命で家庭は妻に任せて当然と考えている。これはエリートの挫折と家庭崩壊の物語かなと途中まで読んでいた。ところがしだいに、あれっこの竜崎伸也って良い人かも?と思い始める。警察官として当たり前な正論を話し不正や腹芸に組みせず職務に忠実であろうとすることが、周りからは変人扱いされ煙たがられる、そんな主人公竜崎。新趣向の警察小説であるとともに素晴らしい家庭小説でもありました。続編『果断』は最近山本周五郎賞を受賞しましたね。これも読みたいぞ!文庫化まで待てるかな俺(笑)

リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』
 アメリカの鱒男と言えばキャプテン・ビーフハート!鱒のお面をつけた怪人、と連想(笑)。この小説って、話し好きな鱒顔男が居酒屋で仲間達に語って聞かせるシュールでユーモラスな小話、そんな感じ。ブローティガンも『...鱒釣り』も藤本和子もずっと読みたいリストの上位に居続けていて、ようやく文庫本で読めたわけですが、正直期待した程は面白くなかった。けどこの藤本さんの文体には馴染みがあって、それは'70年代に読んでいた雑誌のコラムなどで馴染んだ文体だと思う。解説で柴田元幸が指摘しているとおり、その体言止めや語尾の...とか漢字とひらがなの使い分けなど文体のセンスが新鮮で、当時日本の多くの文筆家に影響を与えたということだ。ちょっと気になったのは、この小説の背景は'60後期のサンフランシスコでもちろんブローティガンも住んでいた街なわけだが、この時代のシスコといえばカウンター・カルチャー、フラワー&ヒッピー・ムーヴメントなど若者文化が沸騰していた頃でもちろんロックが最も熱かった時代だと思うんだけど、この小説にはソレを匂わせる言及がまったくない。つまりブローティガンという作家はそんな当時の若者文化には惹かれてなかったというかウンザリしていたかもしれない。クールで天の邪鬼な観察者だったのかな?

平安寿子『くうねるところすむところ』
 一目惚れした男はトビの親方。雑誌の副編集長辞めて土建業に飛び込んだ梨央さん30歳。めちゃめちゃポジティヴ、男達が霞んでます。思いを寄せる親方からのプレゼントは十二枚コハゼの力王太郎!トビの定番地下足袋だ。TVドラマ向けな展開で気軽の楽しめた。

6月******************************

アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』
 『悪童日記』の続編で、これもとても面白かった。が、感想は複雑、謎は深まる...。解説での表現を借りれば " ずば抜けた知能と気骨に恵まれながら身体の醜さゆえに苦しむ少年マティウス " このマティウスの存在が強烈だった。彼に限らず、登場人物は皆深い苦悩を抱えている、なのに物語じたいは暗くない、なんか不思議で惹かれる小説なんだよね。続編も読まなきゃ。

豊島ミホ『花が咲く頃いた君と』
 ヒマワリ、コスモス、椿、桜、それぞれの花の咲く頃を背景に中高生の日常を描いた短編集。逃亡者がいたり小津監督似の渋ダンディーなお祖父ちゃんがいたりアイドルがいたりで、それぞれに面白かった。ただ読みながら「離婚と貧困がデフォルト」という少年だったか少女だったかの言葉がグサリときて居座った。「貧困」がすぐそこにある日本の現実につらくなった。

田口俊樹『おやじの細腕まくり』
 ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズなどの翻訳でお馴染み田口さんのエッセイ集。おやじギャグ(所謂だじゃれ)満載で、軽快ちょっと黄昏色な語り口が楽しい。

ケルアックの『オン・ザ・ロード』
 ようやく第二部の旅を終えた。狂騒と狂走、そんな中ぽつりと「...ニューヨークやニューオーリンズでもみんなそうだったが。だれもが不安そうに巨大な空の下に立っていて、まわりのものに呑みこまれていく。どこへ行く?なにしに?なんのために?...」。このようにやはり青春小説ではあるのだが、いささか長すぎてこちとら疲れ気味。読了まであと半分...。
 『ON THE ROAD』読了。いやあ〜長い旅路だった(笑)。これはバップ・ジャズ・ロード・ノベルなんだと思いながら読んだ。この疾走感に躍動感に乱痴気騒ぎに時折ブルーに沈み込んだりは、これはタイプライターでブローされた即興的小説って感じだ。身勝手物語だから時に「もう俺を引っ張り込むのはやめてくれよ」と(読むのを)投げ出したい時もあった。ただこのムードに乗せられてしまった感もあった。このムード...ビート・ジェネレーション...ロック・ムーヴメント〜エルヴィス前夜のアメリカのはみ出し者達。二十歳の頃に読んで影響を受けた本に片岡義夫『ぼくはプレスリーが大好き!』があり、'56年のプレスリー大ブレイクを取り巻くアメリカ社会を活写した本だった。'50年代アメリカの社会規範、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフの根幹は「家庭」、その家庭から飛び出す若者達、親と対立する子供達、黒人音楽をヒップ(いかした)な音楽として発見したホワイト・アメリカン、そんなアメリカ社会の価値観の混乱と熱狂を描き、そこから'60年代のロック・ムーヴメントへの胎動を感じさせてスリリングな本でした。ケルアック『ON THE ROAD』だけど、凄いと感じるのは「言葉」の飛躍感やリズム感といったもの。翻訳だからそのへん的を射た感想か判りづらいけど、読みながら感じたのは「言葉」と「文章」の鮮やかさでしたね。が、やはりこの小説は冗長に感じたなあ。

北方謙三『楊令伝 1』
 
..... あれから3年が経過していた。「俺の拳は、業が作りあげたものだ。おまえが、そんな業を背負うことはない」。う〜ん武松、相変わらずニヒル!。文庫化待ちきれず読み始めました『楊令伝』。もちろん北方謙三『水滸伝』の続編です。水滸伝のその後の物語の始まりです。わくわくします。さっそく問題児が王進のもとに送り込まれましたよ。梁山泊ジュニア達の成長物語でもあるのですね。

北方謙三『楊家将 上巻』
 かっこいい、しびれる、断然面白い!。合戦における戦闘場面の痛快さは武人の純粋さゆえか。野生の獣がただ本能のみで戦かう様に似てシンプルで力強い。『楊家将』は北方水滸伝に先立つ物語であり、続編『血涙』そして『楊令伝』と連なる大河英雄譚かつ大河ロマンですね。

北方謙三『楊家将 下巻』
 凄まじい宋と遼の合戦の最中、そんな中でも遼の将軍耶律休哥は思いを抱く...勝負がついたら戦った者同志で酒を酌み交わすことはできないのか...楊業とも、その息子達とも、力の限り戦ったあと、酒を酌み交わしたい。男はそれでいいではないか...。この気持ち、読者にはよくわかると思う。武を極限まで磨くことで魂の清冽さを持ち得た男達の物語。こんな男に一度はなってみたいものだ(弱気w)という、夢がロマンがここにあった。

中島京子『平成大家族』
 各章ごとに語り手を替えたホーム・ドラマ。転校にいじめ、離婚と妊娠、自己破産に小作農、ひきこもりと老人介護など語るには事欠かず、そして最後は収まるところに収まるホーム・ドラマ。こうした安心感が今の日本には大切なんだなあと思いました。

7月***********************************

ナオミ・ヒラハラ『スネークスキン三味線』
 ロサンゼルスを舞台に日系人庭師マス・アライが活躍するコミカル・ミステリー。作者ナオミさんは日系3世でロサンゼルスの大手日系新聞ラフシンポーの記者兼編集者だったそうで、どうりで日系人社会の様子がとてもリアルです。特に台詞など文中に頻繁に登場するカタコト日本語が面白く、「セワニナッタ」「ギリ」「ニンジョウ」を日系人社会は大切にしてきたことがわかります。庭師のマスさんは"ケイロウ"の年齢でタフな肉体も灰色の脳細胞の持ち主でもない。無口でそのうえ素敵な女性と対面すると赤面し " クルクルパー" になる(笑)。そんな彼が探偵の真似事をし事件を解決してゆく。さあどんな風に?
  行き会えば兄弟.....オキナワの諺
  出る杭は打たれる.....日本の諺
   ナオミ・ヒラハラ『スネークスキン三味線』より
 国(県)民性の違いを痛切に感じさせる諺ですねえ。

松本大洋『竹光侍 四』
 面白いなあ。この絵がサイコーだね。ひよひよ..と第五集を待つべし、待つべし。

打海文三『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』
 去年10月に突然逝ってしまった打海文三の遺作は超ド級の面白さと哀しみとエロスに満ちている。大好きな作家打海文三の新作をもう読めないなんて寂しいかぎりだ。物語に出てくる言葉「すでに起きてしまったことに気づく。その繰り返しが人生」、世界と自分自身の根拠を探り、「ボノはいいやつよ。レノンの歌で一番嫌いなのは、イマジンだって言ってるしね」とラヴ&ピースを切り捨てる。初期の作品に比べだんだんと世界と精神のダーク・サイドへ切り込んでいった打海文三。嗚呼まだまだ読み足りない。

宮木あや子『白蝶花』
 前に読んだ『花宵道中』と同じく濃密な女性小説。大正昭和の荒波を逞しく生きた女達の連作短編集、と言っちゃえばまあよくある物語だし、女を妊娠させて姿を消す男達の物語ってのも珍しくはないけど、彼女が描く女同士の様々な絡みが心情豊かで、そこんとこがとても良いと感じた。

楊逸『ワンちゃん』
 日本で働く中国人女性の奮闘記。けっして恵まれた境遇とはいえないのにどこかユーモラス。ワンちゃんのバイタリティと打たれ強さには脱帽ものだし、『老処女』の45歳独身一人娘とその両親の会話にちょっと切なくなる。その一途さが滑稽に写ることもあるけど、これも前向きなバイタリティなわけで、国を挙げてイケイケな中国の姿がダブって見えたりする。

伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』
 素晴らしいエンタテイメント!娯楽大作ですね。今までの伊坂作品中で一番面白かった。花マルに " たいへんよくできました " が嬉しかったね。まあいいじゃないかコレでさあ、って感じでゆるせます。スリリングな展開にユーモアも加味し、草むら放置自動車が動き出すなんてちょっとしたメルヘンだし、ほんと面白い読み物とはこれだ!と伊坂大奮発の巻でした。拍手喝采!

篠田節子『ホーラ -死都-』
 芸術とホラーを絡めたものを篠田は得意としているのか、以前読んだ『カノン』『ハルモニア』『弥勒』もそんな小説だったし面白い物語だった。今回の舞台は東エーゲ海、ギリシャの小島。民族の興亡の舞台となった土地と宗教をダークなトーンとして背景に、不倫の愛と呪われたヴァイオリンがなまめかしく交錯する。ホラーというよりヒロインの葛藤の方が重苦しかったな。

浦沢直樹『プルートゥ』
 
も第6巻。感情に動かされるロボット、涙を流すロボット...。そういえば原典となった手塚治虫のアトムも人間を信じる(命令ではない!)ロボットだったことを想い出す。あとがきで山田五郎が昭和オヤジの悪い癖とことわって世代論をブツ。浦沢直樹も山田もそして俺も"20世紀少年"のなれの果ての21世紀中年だ。
 あとがきで山田は、...物心がつくと同時に「鉄腕アトム」に出会い、アトムと鉄人、ゴジラとウルトラマン、新幹線やアポロ11号、王・長嶋に馬場・猪木、学生運動にウッドストック、などなど胸ときめかせて育ち、科学とヒーローと革命とロックを、最も無邪気に信じた世代だ。...だが...思春期を迎えた私達を待っていたのは、科学が公害、ヒーローが有名人、ロックがビジネス、革命がテロへと堕していく現実。...と山田。
 そうそうそれで俺達はシラケてみたりしたんだ。フツーのオトナにもなったし、オタクにもなった。でも心の底の熾火は消えることなく、だからあんなに『20世紀少年』に熱くなり、俺達はまだ未来を捨てたわけじゃないぞ、と奮い立ちたかったんだ。浦沢が『プルートゥ』に挑むのは、未来を信じる力の証だと思う。

アゴタ・クリストフ『第三の嘘』
 『悪童日記』『ふたりの証拠』に続く三部作の三作目でこれがまたえ?ええ?え?てなはぐらかされた感じながら面白かった。第三の嘘ってことは第一の嘘も第二の嘘もあったわけかと妙に納得。あとがきの中に《クリストフは、亡命とは1人の人間がふたつに引き裂かれるような体験で、体は亡命先にあっても心は国に残っているのだ、と語った》とありました。もうひとりの自分の物語だったのかと思いながら、ともあれこの感情を抑えた簡潔で的確な文体はとてもユニークで惹きつけられます。

8月********************************

エルモア・レナード『ホット・キッド』
 舞台は1920年代アメリカ中西部、ローリング・トゥエンティーズ、ジャズ・エイジ、禁酒法に大不況、そしてディリンジャー、マシンガン・ケリー、ボニー&クライドなどが大活躍した銀行強盗黄金時代。主人公は連邦執行官補で早撃ちカール・ウェブスターと全米一のアウトローを目指すジャック・ベルモントのふたりのホット・キッド。スティーブン・キングの賛辞のとおり、ウエスタンと都会派の犯罪小説を巧に融合し、そしてヒーロー物とピカレスク物をも巧に織り込んだ極上のエンタテイメント小説です。まあレナードならではの、いつもの面白さですよね。

宮本昌孝『夏雲あがれ 上巻』
 去年買った文庫本で何故か読み忘れていた。読み始めたらすんげえ面白い!青春時代劇。只今下巻読んでます。今日も暑いぞ。

宮本昌孝『夏雲あがれ 下巻』
 友情あり活劇ありミステリありの青春時代小説。直情型の若き藩士筧新吾と老剣客鉢谷十太夫の絡みが楽しかったし、蟠竜公と建部神妙斎の凄味満点の悪役ぶりが物語の陰影を際立たせていた。悪役の造形って大事だよねえ。

北方謙三『楊令伝 二』
 梁山泊崩壊から5年、李俊と史進が話す 〜 ...童貫はもう六十に達しよう...おまえは(史進は)もう三十八か。燕青だって四十になってる。そして俺(李俊)は四十五だ...林沖だって生きてれば四十八さ...。〜 皆あっというまに歳をとる(笑)。かつて梁山泊の棟梁だった宋江は、宋を倒し新しい国を作るには一代では難しく、二代三代とかかるだろうと考えていたらしい。梁山泊の英傑達も歳をとり、楊令を筆頭にその息子達が次々と登場、北に金が台頭し江南に方臘の乱といった史実をふまえて、なんだかこの『楊令伝』も長編大河小説となる予感がするなあ。

山本幸久『カイシャデイズ』
 あの傑作『凸凹デイズ』に続く会社&仕事仲間小説。物語は内装工事会社で働く社員&社長の悲喜こもごもをユーモラスに描きながら、ダメ社員のささやかな成長ぶりに仕事の楽しさを感じさせる、その明るさが読んでいて気持ちいい。俺なんか母とふたりの個人商店だから、こんな仕事仲間がいる会社が羨ましいよね。この面白小説のおかげで、休み無しでつまらないお盆の日々を読書に逃げて過ごせましたよ(笑)。

北方謙三『替天行道-北方水滸伝読本』緑川ゆき『夏目友人帳 5-6巻』を併読中。自著解説本とマンガ本ですがどちらも面白い。『夏目友人帳』は妖怪が見えてしまう少年夏目貴志が主人公だけど、その亡き祖母夏目レイコが隠れ主人公。レイコは妖怪が見えてしまうがゆえの疎外感からか妖怪達に八つ当たり、妖怪達に勝負をふっかけ、負けたら子分になれという契約書を作り次々に妖怪達を子分にしていった、その契約書の束が「友人帳」。その「友人帳」を受け継いだのが貴志で、それ故妖怪に狙われたり、契約解除の返名行為とバタバタ忙しい。妖怪物だけどこれは怖くなくどちらかと言えば楽しい妖怪物マンガです。とにかく設定が奇抜でレイコのことがますます気になる。

朱川湊人『かたみ歌』
 昭和40年代、東京下町アカシア商店街、丁寧に描かれるその街の佇まいに懐かしさを憶えてしまったら、もうこの物語の一員ですよ。街のお寺覚智寺境内の石灯籠の火袋は黄泉の国と繋がっていると言い伝えが...そう、これは幽霊の物語でもあるのです。幽霊モノでも、怖いというより切ない気持ちにさせるというのは、あの浅田次郎の『鉄道員』に似ているかな。亡くなった人ともう一度会いたいという切ない気持ち。静かに胸に沁み入る連作短編集でした。

井上荒野『切羽へ』
 直木賞受賞でクローズアップされるまでずっと井上光晴の息子だと思ってたら娘さんだったのね(笑)。『しかたのない水』『誰よりも美しい妻』を読んだ時に、女性に対して冷やっとした一瞬を書く人だなと思っていましたが、女性として同姓に向ける視線だったのかな。この『切羽へ』もやはり女性同士の冷やっとした視線のやりとりがでてきました。" 切羽 " ですが、文中に「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつもいちばん先が、切羽」という台詞として説明されています。これを男女の関係に重ね合わせたのが本作なのかなと思いました。秘められたエロチシズムで巧に描かれたセックス描写のない官能小説。巧い!

カトウコトノ『将国のアルタイル』
 
もついに第二巻です。見附市の知り合いの娘さんが漫画家デビューと知ってからあっという間の感じでしたが、新人漫画家として毎月の連載を積み重ねてのコミックス2巻目ですからね、拍手拍手、まだ先は長いねきっと。『将国のアルタイル』は異世界ファンタジーといっていいのかな、トルキエ将国史上最年少の将軍マフムートの成長の物語。隣接し敵対するバルトライン帝国あり、女だけの旅の一座あり、密偵組織に赤蛇の教団ありと、次々に展開する面白い物語。外の世界を知るために旅に出たマフムートを待っているのは...。このつぎもモアベターよ!

篠田節子『ロズウェルなんか知らない』
 可笑しくもありながら身につまされる町おこし小説。温泉も産業も歴史もない町、新幹線も高速道路も素通りし、スキー場には逃げられゴルフ場計画は頓挫し、2030年には人口ゼロと推計され安楽死を待つだけの群馬県(おそらく)の田舎町が舞台。破れかぶれに青年会(中年会だけど...)が仕掛けたのが日本の四次元地帯としてUFOや謎の古代遺跡による町おこし。なんか滅茶苦茶なんだけど、とりあえず成功、見返りの強烈なバッシング、そのうえ神社の御神体の鏡を持ち出したのがバレて逮捕拘留と、なんとも盛りだくさん。作者篠田さんが悪ノリで楽しんでる感じも伺え、こちらも楽しく一気読み。

9月*********************************** 

熊谷達也『荒蝦夷』
 古代東北アテルイ物なので読んでみました。族長達の腹黒さはどこか痛快だし、なにより大地にすくっと立った男達の躍動感が素晴らしい。面白かった。

坂東眞砂子『傀儡-くぐつ』
 坂東作品は郷愁を感じさせるほの温かい初期ホラーから『山妣』のような凄絶な愛憎劇など感心しながら読んでいましたが、本作の舞台は鎌倉時代の鎌倉とその周辺。ストーリーもさることながら、そこで暮らし行き交う人々への眼差しがあの網野善彦をおもわせる、と思っていたらあとがきに「中世の歴史認識においては網野善彦氏の幾多の著作、研究に負うところが多大にあります」とありました。非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにした網野史観、網野の『異形の王権』読んだことで日本史の風景ががらっと変わった俺だからこの『傀儡』も興味深く読めました。あと鎌倉仏教を絡めたあたりも面白く、仏教が貴族中心から武士・一般庶民へ広がって行った鎌倉期、禅宗に浄土真宗、踊り念仏あり辻説法の日蓮ありと勉強になりました。すぐに忘れちゃうんだけどね(笑)。色即是空...南無阿弥陀仏...南無妙法蓮華経...ぶつぶつぶつ...。

ジェイムズ・ティプトリー・Jr『たったひとつの冴えたやりかた』
 SFファンでプリンセス・プリンセスのファンなら誰でもピンときてしまうこのタイトル。プリプリのいかしたロック・ナンバー『19 GROWING UP』の歌詞に♪〜盗みだした 彼にも秘密の 女同士 少しヤバイ計画 合言葉は「冴えたやり方」 いつだってパイレーツ気取りだったよね 〜 とあるでしょ、これってこの小説の気分そのままだと思ったんだよね。本書は改訳新装版ということなので読んでみましたが、じつは以前に読んだつもりでいたんだけど、読んだつもりが読んでいなかったことに気づきました(笑)。とにかくこの邦題を考えた人(訳者浅倉久志さん?)に二重丸いや花丸を差し上げたい。もちろん小説にも。未知なる物への無垢な好奇心と冒険心、これぞ名作宇宙SFですね。

瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』
 寂聴さんの文に横尾忠則の絵が付いて満足度2倍3倍。いやあ面白かった〜ほとんど男女の艶聞(笑)。「この世で同じ世代を生き、縁あってめぐりあい、言葉を交わしあった人々の俤(おもかげ)が、夜空の星のように、過ぎて来た過去の空にきらめいている。」と寂聴。そんなふうに出会った作家達へ慈愛を込めの想い出語り。登場するのは島崎藤村から水上勉まで誰もが知ってる21人の文士達。たとえば左翼反体制の闘士と名高い荒畑寒村さん。寒村さんは90歳の時に40歳の人に熱烈な恋をして原稿用紙20枚もの恋文を1日に3度も出したことがあったという(わお〜!)。そして「この恋は肉欲が伴わないのがせめてもの救いだが、それだけに嫉妬は5倍です」と涙を浮かべて瀬戸内さんに告白したとか。大作家芸術家という人達はハートの質量がばがでかいんだな、と再認識。続編に期待大です。

川上弘美『風花』
 不器用なふたりがタイミング良く結婚できたのだが、やはりぎこちない結婚生活。お互いが求めているものに確信が持てずに漂う生活。曖昧な感じが最後まで...う〜ん、川上弘美にしてはいまいち。ただし、こうゆう曖昧な感じの男女関係を、その体温まで感じさせてくれるような繊細な描きかたは、やはり川上弘美の巧さだと思い感心。

北方謙三『楊令伝 三』
 風雲急を告げる!北に遼を圧倒する金が興り、江南に方臘の乱。勅命下りついに禁軍童貫の遠征が始まる。史実としても宋、遼、金の国盗り物語は面白いけど、そこにフィクションとして梁山泊がどう絡んで行くのかが『楊令伝』の楽しみでもある。そうそう今回は楊令の里帰りがありました。ここは温かいシーンだった。再会から帰った楊令がついに梁山泊軍と合流、頭領となり次巻へと続く。コノツギモモアベタアヨ

和田竜『のぼうの城』
 のぼう様の容姿から松本大洋『竹光侍』の瀬能宗一郎を連想したら後の登場人物も竹光侍調にイメージ出来てしまった。『のぼうの城』のストーリーが劇画っぽいからなんだよね。なるほど映画化されるわけだ。人物造形というよりキャラ立ち、これが見事で即物語に引き込まれる。秀吉の小田原攻めに際し、北条家の支城のぼう様成田長親の城を攻める石田三成の大軍という大きなストーリーはあるんだけど、この物語の良さは人物の面白さ。痛快時代劇でした。

角田光代『八日目の蝉』
 ラストに感動の再会などという甘い期待はうっちゃられましたが、明日への第一歩を踏み出した恵理菜=薫と踏み出す予感の希和子、ふたりのその先に余韻を持たせたラストはやはり巧者角田光代ですね。

高橋克彦『天を衝く 三』
 ようやく全三巻読了です。一二巻でつまずいたせいで読了が遅れていました。武士の美学の身勝手さに辟易したのと策に溺れすぎじゃないの?て感じでどうも読んでいて面白くなかった。ところがこの第三巻でようやく合点がいった。これは面白い!秀吉軍10万に対する南部九戸政実勢5千の胸のすくような籠城戦。「天を衝いて雷雨を呼び寄せようと思っており申したが...秀吉という天はなかなかしぶとい。小雨程度しか降ってくれ申さぬ」天下人秀吉に対し義を持って対抗する政実。落城し炎上する本丸を眺めながら「あの火は、いずれ秀吉の思い上がりを糺す大きな炎の種火となろう」と政実。本作は前九年の役、後三年の役を舞台とした『炎立つ』、アテルイを主人公とした『火怨』に続く高橋克彦「陸奥三部作」の最終章。東北のアイディンティティーを謳いあげた気合いのこもった作品群でした。

10月*******************************

宮部みゆき『おそろし 三島屋変調百物語事始』
 今や江戸市井物も得意分野としている宮部さん、今回の江戸物も新趣向で楽しませてくれます。すこしひんやりとね。捕物帖とかなにか事件を解決するような物語は今までもあったけど、こんかい解決する出来事はちょっとやっかいです。あの世のお話しが絡みますから。心のヒダにじんわり沁み込む冷ややかさと温かさ、繊細な人間物語ですね。百物語事始ですから続編も期待できます。

和田竜『忍びの国』
 ひさしぶり胸のすくようなヒーロー物です。しかも忍者もの。舞台は信長の伊賀攻め。忍者といえば俺達昭和30年代に少年時代を送ったものにとってほんとにヒーローだったね。「サスケ」「ワタリ」「カムイ」「伊賀の影丸」あとTVの「隠密剣士」でも忍者が活躍。「忍者部隊月光」なんてのもあった(笑)。あの頃なんであんなにも忍者が流行ってたんだろうね。少年漫画雑誌の裏表紙には手裏剣など忍者の武器の玩具が通販されていたっけな。金のない少年(俺)は捨てられたブリキ板で手裏剣を作って遊んだものだった。そんなあの頃のワクワク感そのものを活劇化したのがこの『忍びの国』って気がする。火遁・水遁・土遁の術を駆使する忍者達。とにかく面白い。一匹狼の忍び無門のその後の物語が読みたいなあ、と作者に熱望。

西川美和『名作はいつもアイマイ』
 西川さんは『ゆれる』で有名な映画監督で、見た目とてもチャーミングな女性です。舞台挨拶でしっかりと見ましたから。『ゆれる』は小説本にもなっていて、才能あふれる書き手としても注目しています。その西川さんによるブック・レヴュー本ですが、嬉しいことにレヴューされた小説まで載っています(長編は抜粋ですが)。その一遍一遍がとても面白くてお得感倍増です。例えば太宰治『メリークリスマス』、「...この子は、母の十八の時の子だというから、母は私と同じとしの三十八、とすると、.....今夜から私は、母を裏切って、この子の仲間になろう。たとい母から、いやな顔されたってかまわない。こいを、しちゃったんだから。」、まったく太宰ったら...三島由紀夫が嫌うのもわかる気がするなあ。「こいを、しちゃったんだから」(笑)。久しぶりに太宰を読みたくなった(笑)。

山本文緒『アカペラ』
 なんとも愛おしい物語、これは貴重です。ささやかな幸せだけど、かけがえのない幸せ。「アカペラ」のタマコはじいちゃんとふたりで暮らす健気な中学生。「ソリチュード」の春一は高校生の時に従姉妹の彼女との恋を引き裂かれ、ぷっつり家出し20年ぶりに帰郷したダメ男。「ネロリ」の志保子は病弱な弟とふたりで暮らす50歳独身。最終章のラストの言葉がツンと胸を突きそして温かな気持ちになる。「人生がきらきらしないように、明日に期待しないように生きている彼らに、いつか、なくてはならない期待の星になるために、心を温める名前のあたしが。」とココア(心温)ちゃんは健気に明日へ踏み出すのだ。待ちに待った山本文緒珠玉の名作です。小泉今日子もTVで推薦してました!ぱちぱちぱち...

佐藤多佳子『夏から夏へ』
 ジャスト体育の日(笑)。先の北京五輪で俺が一番感動したのが男子4×100mリレー日本チームの銅メダルだったから、あの日本リレー・チームのノンフィクション本でしかも作者が『一瞬の風になれ』の佐藤多佳子ならこれは読まねばならぬ本だった。「...とぶように走るという表現があるが、スプリンターは、空を飛ぶのではなく、地を跳ぶのだ。彼等は大地に属した種族なのだ。」一走塚原直貴、二走末續慎吾、三走高平慎士、アンカー朝原宣治、そしてリザーブ小島茂之。このリレー・チームを2007年8月の世界陸上大阪大会から取材を始め、メンバーへの丹念なインタビューにより各人の性格や良好なチームワークの秘密、そしてスプリンターという生き方まで浮かび上がらせる。佐藤さんのミーハー度ゆえかどこかほのぼの温かくまた清々しいノンフィクションとなっていて読みやすい。北京五輪でのラスト・ランを有終の美で飾った36歳朝原に大きな拍手を贈りたい。

北方謙三『楊令伝 四』
 江南ではついに方臘と童貫が激突。そこでビックリ行天、童貫の連環馬。方臘の信徒70万、盾となる人民の海に対し連環馬200隊1万頭の馬がローラーをかけるが如く制圧して行く。この空前のスケールは中国ならでは。あの北京五輪の開会式を見た後だから、このスケールの大きさもアリかなと思えてしまう。ただし大スペクタクルだけでなく、亡くなった王母を偲び史進、楊令、馬麟、鮑旭、張平、花飛麟が集う場面は静かな時間の流れが物語に情感を加えていて印象に残った。

北方謙三『楊令伝 五』
 燕雲十六州の戦いも収束に向かい、江南の方臘に対する重苦しい戦いは童貫が制す。その間新たな梁山泊は新しい国造りに乗り出す。息もつかせぬ展開にページをめくる手が止まらない(笑)。男達のオアシス、合戦の合間の息抜きシーン、本巻登場は妓楼に繰り出した史進と花飛麟。花飛麟の初々しい絶倫ぶりに唖然な好色史進が可笑しい。また『水滸伝』登場人物達が自分の老いに向き合い始めたようですね。童貫しかり呼延灼しかり。そして新手の若武者も次々と登場。さあてこの『楊令伝』、どこまで駆け続けるのか、お楽しみはまだまだ続くね。

佐野眞一『阿片王』
 多様な人物が複雑に交錯し、時に頭の中がグチャグチャになりながらまた眠気に抗しながら長いノンフィクションを読み終えた。疲れた〜。本書の大きな背景としては、先の日中戦争が " 二十世紀のアヘン戦争 " であり、満州がアヘンによってつくられた帝国だったこと、そしてこの日本の阿片政策は国家ぐるみの犯罪だったとある。その阿片密売の中心人物阿片王里見甫をめぐるノンフィクションで、まあ悪い奴等がぞろぞろ蠢いているわけだ。先の戦争のことを考えるに、国民を戦争に駆り立て国土を荒廃させ敗戦に至らせた戦時指導層の厚顔無恥な無責任ぶりと終戦後アメリカ傀儡として己の保身を図ったあの政治家・軍人・官僚連中への憎悪はつのるばかりだ。WEBのウィキペディアより「一億総懺悔」を引用しよう。〜『一億総懺悔論が東久邇宮首相の主要な政治理念とみなされた。ある意味では国家首脳部の戦争責任を曖昧にする論理と言える。すでに敗戦直前の時期に内務省情報局から各マスコミに対して「終戦後も、開戦及び戦争責任の追及などは全く不毛で非生産的であるので、許さない。」との通達がなされた。また、敗戦後、各省庁は、占領軍により戦争責任追及の証拠として押収されるのを防ぐため、積極的・組織的に関係書類の焼却・廃棄を行っている。』〜 指導者としての戦争責任を一億総懺悔で回避し国民への謝罪もなしにのうのうと戦後社会に君臨した政治家・官僚達。その無責任体質こそ戦後日本の諸悪の根元だと思うんだよ。ああ胸くそ悪いし疲れた〜。

柳広司『ジョーカー・ゲーム』
 昭和12年、帝国陸軍内に誕生したD機関と呼ばれるスパイ養成学校の「魔王」結城中佐とスパイ達の活躍物語。軍事謀略小説かと思い読み始めたけどこれがびっくり、スタイリッシュな新手のサスペンス&ミステリー。なるほど戦時下陸軍絡みで、こうゆう切り口もあったのかと感心した。

北方謙三『楊令伝 六』
 今回はスリリング&スペクタクルな戦いはないけど、いくつかの印象的なドラマがあった。公孫勝と候真、扈三娘と聞煥章、そしてなんと童貫と王進。成長あり凄絶あり清冽な老いがあり、そしてそれらの背景に親子の在り方への思いがあり。

桜庭一樹『荒野』
 山野内荒野(やまのうちこうや)十二歳。大人、以前。〜 で物語はスタート。彼女の中一入学式から始まります。そしてラストは...十六歳。時は、流れた。〜 です。女の子の成長物語です。とてもこまやかです。思春期の彼女だから感情の波もはげしかったりするけど、さりげなくユーモラスな雰囲気が漂う物語なのでまろやかな読み心地です。というか、うちの娘も来年中一なので、物語の荒野を応援する気持ちで読んでしまいました。

松本大洋『竹光侍 五』
 『鉄コン筋クリート』アイズナー賞受賞おめでとう!アイズナー賞とはアメリカの " 漫画のアカデミー賞 " と称される名誉ある賞なのです。『鉄コン..』はマンガ的にキラッと鋭い絵だったけど、この『竹光侍』の絵はさらに進化してマンガを飛び出してるかもしれない、と思うのだ。いやはや松本大洋は凄いやつだ!

松本清張『小説日本芸譚』
 日本の古い美術家達を小説風に書いてみては?とすすめられとりかかってみたら、「芸術家は存在しても、人間の所在がわからないのである。当人が芸術に被光されて、見えなくなっているのだ。芸術が人間の上にハレーションを起こしている。」もとより評伝を書くつもりはなく彼等の復元を試みたのでもなく、勝手な解釈による歴史小説と受け取っていただきたい、とある。運慶、世阿弥、千利休、雪舟、古田織部、岩佐又兵衛、小堀遠州、光悦、写楽、止利仏師の各人に短編小説として光があたる。強大なエゴや底深い嫉妬など芸術家達の内面がリアルだ。

11月*********************************

デニス・ルヘイン『運命の日 上巻』
 背景は第一次世界大戦の終わり頃、舞台は労働運動、人種問題、テロとストライキに揺れ動くボストン。そこにボストン市警の若き警官ダニーと黒人青年ルーサーがいる。まだ上巻、大きなドラマの渦中に放り込まれて途方に暮れてる俺(笑)。
 今回のホッコリ台詞...コグリン家の使用人、アイルランド女性のノラと黒人青年ルーサーの会話...「わたしは白人じゃないわ、ルーサー。アイルランド人よ」「へえ、アイルランド人は何色です?」ノラは微笑んだ。「ジャガイモの灰色」ルーサーは笑って自分を指さした。「おれは紙やすりの茶色だ。初めまして」ノラはさっと膝を曲げてお辞儀をした。「光栄ですわ」.....

デニス・ルヘイン『運命の日 下巻』
 けっこう悲しみに充ちたツライ話しではあるんだけど、どこか温かい、遠くの空に青空が見えているような小説。そうあの『ミスティック・リバー』に似たトーンを感じた。移民一世達の不屈の逞しさへの讃歌が底に流れている感じだ。また黒人青年ルーサーを通して、アメリカ社会の中で足場を固め地位向上を目指す黒人達にエールを送る。最終章でベーブ・ルースとストで職を追われた元警官が言葉を交わすシーン、ルースがボストン市警ストライキについて「あんたらは何を考えてたんだ?」、元警官「公平な扱いを望んでいただけだ」、ルース「だがそんな結果にはならなかった。.....おれを見てくれ。おれは世界で一番ビッグな野球選手だが、トレードされても何も言えない。おれは無力だ。小切手を書く人間がルールも書くってことさ」。と世の中の理不尽さを嘆きながらもお互い希望を持って明日へのステップを踏み出して物語りは終わる。ルヘインらしい骨太な人間讃歌だと思う。

西村賢太『小銭をかぞえる』
 ダメ男小説ですね、私小説。同じダメ男でも佐藤正午が書くような女にモテるダメ男ではなく、こちらはまったく取り柄が見つけられないようなダメ男。でもなんとかくっついてる彼女がいてしかも同棲してる。俺はやはり私小説より物語りが好きなんだなと、久しぶりに私小説を読んでみて再認識。まあ面白かったんだけどねえ...愉快じゃない(笑)

北方謙三『楊令伝 七』
 ついに梁山泊と禁軍の決戦が始まる。楊令の意表をつく動きにドキドキ。若い力の台頭もあり目が離せないぞ。

志水辰夫『みのたけの春』
 「変わりばえのしない日々のなかに、なにもかもがふくまれる。大志ばかりがなんで男子の本懐なものか」と主人公清吉は思う。舞台は幕末の但馬貞岡領。郷士清吉は病弱な母をかかえた貧しい生活の中養蚕に精を出す。京都に近く時代の変わり目を感じ血気にはやる若者達。維新を遠景に山里に暮らす親子兄弟の在り方を近景に、青年清吉の清冽な生き方がまぶしい。

久世光彦『マイ・ラスト・ソング』
 " あなたは最後に何を聴きたいか " というテーマの音楽エッセイ。16日に三軒茶屋で聴いた浜田真理子&小泉今日子のライブがこの本をもとにした企画だったので是非読んでみたかったのだ。想い出の歌に想い出の人を絡めたドラマのような文章にしみじみ感動した。死ぬ間際にどんな歌を聴きたいか?などと考えたら、俺の場合あれもこれもと止めどなく浮かんできそうでコワイ。

色川武大『なつかしい芸人たち』
 春風亭柳朝の章「あした天気になァれ」にしんみり。" 自分が主役でないと思ったら、一気に隅のほうにひっこんで、悪あがきを見せない。....淡泊、見栄坊、恥かしがり屋。あるんだなあ、私(色川氏)にも。" 。あるんだなあ、私(俺)にも。身につまされた(笑)。登場する芸人達、俺の全く知らないか、名前だけ知っているか、または晩年を見た憶えがあるそんな芸人さん達。戦前の浅草水族館でカジノフォーリーのエノケン・二村定一のオペレッタに笑い転げ、国際劇場ではターキーに拍手喝采し、新宿ムーランルージュで有島一郎達のアチャラカ軽演劇を楽しむ、そんなタイム・トラベルがしてみたくなったな。可笑しくて哀しい芸人さん達を面白く活写した色川武大。小学校5年頃から浅草をうろつき小さな劇場や映画館をはしごしたという。そんな色川武大本人がもっとも興味深い人物に思えてくる。

12月*********************************

小泉武夫『くさいものにフタをしない』
 漫画「もやしもん」の教授は小泉先生がモデルなんでしょうか?きっとそうなんですね。醸しとニオイに対するインディー・ジョーンズの如き冒険心に拍手喝采。これからは東大より東農大の時代なんじゃないか、と錯覚したいほど食と環境と国とがリンクする研究は重要だと思いました。

堀江敏幸『河岸忘日抄』
 堀江の「いつか王子駅で」「雪沼とその周辺」は好きだったけど、これはツラかった。台詞・会話のない小説って苦手だな。読み始めてうわっこりゃだめだってわかったけど根性で読み通した。この人の文章が持つ雰囲気は好きなんだけど、これはちょっと長すぎる。これは小説なのかな?

花村萬月『ワルツ 上巻』
 剛腕花村の極上エンタメ小説。とにかく面白い!これでまだ上巻だよ、この後どうなるんだろ。昭和20年、敗戦直後焼け跡の東京新宿界隈を舞台に花村得意の男と女と極道とそしていつものセックス&バイオレンスな物語。剛直な生き様にくらくらしたい。

花村萬月『ワルツ 中巻』
 上巻を本屋の平積みで目にしてああ上下巻ね読も読もと思ってたらなんと上中下巻でしかも各巻ブ厚いぞ。話しの面白さでグイグイ読者をひっぱる花村だからこの全3巻もゆるせるけど。さて " ワルツを踊れ " ときた。百合子と城山と林敬が狂おしくワルツを踊る。ひとりの女とふたりの男。お互いが惹かれ合いながらも愛欲と嫉妬が交錯する。舞台は任侠の世界。そして戦いは始まろうとしている...下巻へ。

絲山秋子『ばかもの』
 『ワルツ下巻』へ行くまえの箸休め。『ばかもの』はばかもの小説です。ダメ男の脱皮成長物語。ダメダメダメととことん貶めておいてヒョイと掬い上げるのが巧い絲山さんなのであります。

中田永一『百瀬、こっちを向いて』
 青春小説です。この歳で青春恋愛小説を読む楽しみは、やり残したことや気づかなかったことへの想いをエレベーターにして一気にあの頃へ戻ってみること。でも近頃では、思春期入り口の我が娘がどんな青春を送るのかが気になって(笑)。だからヘンな青春物は読むのがコワイ。その点この『百瀬...』は良いね。父も安心(笑)。

牧薩次『完全恋愛』
 〜 他者にその存在さえ知られない罪を完全犯罪と呼ぶ、では、他者にその存在さえ知られない恋は完全恋愛と呼ばれるべきか? 〜 と始まるこの本格ミステリー、主人公の一途な恋とそれに絡まる人間関係は読み応えがあり面白かったのに、ラストの謎解きがイマイチつまらなかった。満州子さんがいつかは出てくるぞとの予感はあったが、この登場は...で、この結末...。う〜ん...

多島斗志之『黒百合』
 避暑地の初恋小説としては瑞々しさが感じられて良かったけど、ミステリーとしては物足りない。昭和十年のドイツを舞台にしたあの章の生かされ方は疑問。平穏を装ったこの小説には、あの章はなくてもいいと思う。"黒百合"に合点がいったラストにも心は動かなかった。残念。

恩田陸『きのうの世界』
 『夜のピクニック』以降、意欲的かつ技巧的な作品が続きイマイチ付いて行けない感がありましたが、本作はその集大成としてじつに巧くしかも面白い物語となっていました。ミステリーにファンタジーに伝奇ホラーまで垣間見せるその技が素晴らしい。読者を「あなた」と呼び込み、登場人物達のすぐ隣りに立ち会わせるその巧さ!「ようこそ 塔と水路の町へ」招かれて、すぐそこにあるかのような不思議世界を堪能。

平岩弓枝『鬼女の花摘み〜御宿かわせみ30』
 年末のばたばたしてる合間にはこうした定番小説でほっとひと息。麻太郎と千春と源太郎がそのまま東吾とるいと源三郎の若き日を想わせ微笑ましい。というか東吾達もいつのまにか歳を重ねたんだなあと感慨新た。江戸市井物にすこしミステリーを加味したいつもながらの小編を人物像生き生きと描く様は見事としか言いようがない。最新刊はたしか明治の代になっているんですね。ゆっくり楽しく追いかけ読みをしましょう。

花村萬月『ワルツ 下巻』
 百合子と城山と林敬、このヤクザの世界に身を置く主役3人が揃ってインテリで、だから自身の身の処し方や心の内を語り出したら長い長い。この小説が全3巻となったのはインテリ・ヤクザ・トリオのせいだと思う。できれば1巻にギュッと収めて欲しかったな。つまらなかったワケじゃない。凄く面白かった。花村の描く暴力場面は北方謙三よりワイルドでしかし馳星周のような凄惨さはなく、綺麗に冷たい独自の美学を感じさせる。相変わらずの花村を堪能できたんだけど、読み終えて思うに、このストーリーで3巻は長過ぎるよな、ということだ。

 ふりかえって2008...

 年初に考えていたことは、話題の新刊本にばかりに気を取られずに昔の本をもっと読もうということだった。それで読んだのがウラジミール・ナボコフ『ロリータ』、堀口大學翻訳詩集『月下の一群』、アゴタ・クリストフ『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』、ウィリアム・フォークナー『八月の光』、トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』、リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』、ジェイムズ・ティプトリー・Jr『たったひとつの冴えたやりかた』。新訳本だった『ティファニー..』(村上春樹訳)と『オン・ザ..』(青山南訳)は古い名作というより新作にちかい感じですが。アゴタ・クリストフ『悪童日記』三部作にはヤラレました。涼しい顔してなんでもやっちゃう悪童がとても魅力的。束縛されない魂の自由が根底にある。ドラマチックな物語を平穏で簡潔な文体で綴っているところにタフな作者魂を感じた。フォークナー『八月の光』は加島祥造訳で文章が美しいと感じた。アメリカ南部のギラつく陽射しに漆黒の影、このコントラストが印象的。ティプトリー・Jr『たったひとつの冴えたやりかた』には懐かしいSFに出会えた喜びでキュンとメタボ胸が震えたよ(笑)。

 ふりかえってみて多かったのが思春期(青春期も)成長モノ。島本理生『クローバー』、穂高明『月のうた』、永井するみ『グラデーション』、豊島ミホ『花が咲く頃いた君と』、山本文緒『アカペラ』、桜庭一樹『荒野』がこれにあたり、すべての本が印象深い。そもそもこのジャンルが好きなんだよね。特に『月のうた』の瑞々しさと温かさが嬉しかった。嬉しかったと言えば山本文緒のカムバックとその作品『アカペラ』。ささやかな幸せだけど、かけがえのない幸せ。愛おしい物語たち。

 一番たくさん読んだ作家と言えば北方謙三。だって『水滸伝』〜『楊令伝』『楊家将』、シリーズ合わせて14冊。北方水滸伝の面白さは別格ですからね。もちろん楊令伝も楊家将も同じく。「そこに山があるから...」といっしょ「そこに北方水滸伝があるから...」。大衆小説の金字塔だね。

 では、血湧き肉躍るエンタメ活劇部門ですが、エルモア・レナード『キューバ・リブレ』、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』、和田竜『忍びの国』の3作が特に印象的。世間的にも大好評なこの3作を選んじゃうのもなんだけど、やはり抜きん出て面白かった。キューバを舞台にニューオーリンズのカウボーイが活躍するウエスタン活劇の『キューバ・リブレ.』、信長の伊賀攻めが舞台の痛快忍者活劇『忍びの国.』、スリルにユーモアを漂わせた伊坂らしいスマートさが爽快な娯楽大作『ゴールデンスランバー』。花マルたいへんよくできました

 あと印象に残った本というと...、伊集院静『羊の目』は男の任侠を美しくストイックに描いて凄い凄い。井上荒野『切羽へ』はセックス描写のない官能小説としてそうとうにエロ。坂東眞砂子『傀儡-くぐつ』は中世漂泊民と鎌倉仏教がリンクした深さと面白さを兼ね備えた物語。デニス・ルヘイン『運命の日』は読んでいてだんだんツラクなるお話しなんだけど、世の中の理不尽さに負けずに明日への一歩を踏み出す人々にエールをおくる骨太人間讃歌。志水辰夫『みのたけの春』時は幕末、仲間の若者達は大志を叫び京をめざす。しかし郷士清吉は病弱な母をかかえ貧しい生活のなか養蚕に精を出す。「大志ばかりがなんで男子の本懐なものか!」と。そうだそうだ!!。絲山秋子『ばかもの』はダメ男の脱皮成長小説。この作家はダメ男を書くことに喜びを感じているように思える。恩田陸『きのうの世界』はミステリーにファンタジーに伝奇ホラーと大サービス!不思議小説の醍醐味を味わったぞ。そして花村萬月『ワルツ』敗戦直後の焼け跡東京新宿界隈を舞台に、ひとりの女とふたりの男が艶めかしく狂おしく任侠ワルツを踊るのです。コノ面白さは流石花村萬月と思うのだが、全三巻はちょっと長いよなあ。

 以上気がつけばほとんどエンタメ読書の一年でした。もっといろんな本を読まないとなあ。アタマが娯楽脳たぷたぷじゃいけないね。若干よりちょっと多めに反省。

 がんばればんがれ『本の雑誌』!!!

 『本の雑誌』が大変だほぼ30年定期購読している『本の雑誌』が経営難らしい。あれは二十歳過ぎた頃だったか、お茶の水駅前通りの右側にある茗渓堂で立ち読みしたのが初めての出会いだった。その頃よりちょっと前、椎名誠はシーナと呼ばれていて、俺はその呼び名を平岡正明のエッセイで知った。また青林堂の漫画雑誌『ガロ』にナニかパーティーの集合写真が載っていて、南伸坊をはじめ平岡正明、荒木経惟、糸井重里、クマさんなどと一緒にシーナも写っていたはずで、思えばカウンター・カルチャー/サブ・カルチャーが意気盛んな頃だった。初めて手に取った『本の雑誌』の編集長がシーナだと知り、また内容が同人誌にしては馴れ馴れしく、敷居の低い「話しの特集」っぽくもあり、沢野ひとしのヘタウマ画の表紙と相俟って、その人懐こさからつい買ってしまったのを思い出す。上記の人達の他、マッド・アマノ、村松友視、香山二三郎、岡庭昇、和田誠、嵐山光三郎、鏡明、東海林さだお、群ようこ(社員だった)など錚々たるサブカル文化人が連載なり文を寄せていた。俺を冒険活劇中毒にしたのはこの雑誌の北上次郎と坂東齢人(後の馳星周)だったし、とにかく『本の雑誌』なしに俺の読書は成り立たなかったと思う。牛に引かれて善光寺みたいなもんだ...?(笑)。「このミス」や「ダヴィンチ」を本屋で見かけても「フンッ!」とよそ見をしていた俺なのだ。
 だからよ〜ガンバレ『本の雑誌』フレーフレー『本の雑誌』なのだ。

2002年に読んだ本 2003年に読んだ本 2004年に読んだ本 2005年に読んだ本
2006年に読んだ本 2007年に読んだ本