2009年に読んだ101冊

 読んだ順に.... 山本幸久『ある日、アヒルバス』、天童荒太『悼む人』、横溝正史『本陣殺人事件』、柴田錬三郎『眠狂四郎虚無日誌 上下巻』、田中優子『カムイ伝講義』、絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』、三羽省吾『公園で逢いましょう。』、今野敏『ビート』、椎名誠『全日本食えば食える図鑑』、平安寿子『恋愛嫌い』、須賀敦子『地図のない道』、北方謙三『楊令伝 八』、乃南アサ『風の墓碑銘 上下巻』、倉橋由美子『暗い旅』、はらだみずき『サッカーボーイズ 再会のグラウンド』、沢木耕太郎『凍』、江國香織『間宮兄弟』、デイモン・ラニアン『ブロードウェイの天使』、打海文三『裸者と裸者 上下巻』、佐藤優『自壊する帝国』、椰月美智子『十二歳』、絲山秋子『沖で待つ』、池上永一『シャングリ・ラ 上下巻』、西原理恵子『パーマネント野ばら』、矢野隆『蛇衆』、中島誠之助『ニセモノ師たち』、高城高『墓標なき墓場』、森下くるみ『すべては「裸になる」から始まって』、山本幸久『笑う招き猫』、福井晴敏『Op.ローズダスト 上中下巻』、嶽本野ばら『下妻物語』、エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人・黄金虫』、ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』、恩田陸『ブラザー・サン シスター・ムーン』、萩原健太の『ロック・ギタリスト伝説』、高城高『凍った太陽』、鈴木カツ『クラシック・カントリー&フォークを創った180人』、平岩弓枝『小判商人...御宿かわせみ33』、関祐二『蘇我氏の正体』、岡田英弘『倭国の時代』、坂本勝『古事記と日本書紀』、椰月美智子『るり姉』、カトウコトノ『将国のアルタイル 3-4巻』、小川糸『喋々喃々』、レイモンド・チャンドラー/村上春樹訳『さよなら、愛しい人』、北方謙三『楊令伝 九』、浦沢直樹×手塚治虫『プルートウ 08』、北方謙三『血涙 上下巻』、椰月美智子『しずかな日々』、『ザ・ベンチャーズ栄光の黄金時代』、ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』、西川美和『きのうの神さま』、平岡正明『昭和マンガ家伝説』、カズオ・イシグロ『夜想曲集』、難波弘之、井上貴子編『証言!日本のロック70's』、『月刊カドカワ 総力特集 福山雅治』、『忌野清志郎 永遠のバンド・マン』、松井今朝子『吉原手引草』、北方謙三『楊令伝 十』、わぐりたかし『地団駄は島根で踏め』、宮本常一『忘れられた日本人』、三浦しおん『神去なあなあ日常』、『ネオテニー・ジャパン』、西加奈子『きりこについて』、大島真寿美『虹色天気雨』、東郷和彦『歴史と外交』、S・J・ローザン『冬そして夜』、小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』、片岡義男『花模様が怖い-片岡義男コレクション1』、みうらじゅん『色即ぜねれいしょん』、黒沢進『日本フォーク紀コンプリート』、半藤一利『幕末史』、加納朋子『モノレールねこ』、半藤一利『昭和史1926-1945』、忌野清志郎『ロックで独立する方法』、川上弘美『此処彼処』、村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』、志水辰夫『青に候』、山田詠美『無銭優雅』、浦沢直樹『ビリーバット 1』、北方謙三『楊令伝 十一』、平安寿子『さよならの扉』、ウィリアム・サロイヤン『人間喜劇』、佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』、船戸与一『風の払暁〜満州国演義1』、船戸与一『事変の夜〜満州国演義2』、奥田英朗『無理』、向田邦子『思い出トランプ』、小路幸也『brother sun 早坂家のこと』、北沢秋『哄う合戦屋』、土門拳『腕白小僧がいた』、青山七恵『かけら』、山田詠美『学問』、柳広司『ダブル・ジョーカー』

   読 後 感 (音盤日記より)


1月***********************************
山本幸久『ある日、アヒルバス』
 新年1冊目は楽しい本を選びました。読む前から楽しさ加減がわかりました。だって山本幸久のお仕事小説ですから。今回のお仕事はハトバスがモデルのようなアヒルバスのバスガイドさん。入社5年目、おっちょこちょいなニワカ指導教官デコちゃん奮闘記。山本のお仕事小説が持つほんわか幸せ感には、イマイチ元気が出ない時などイチコロに癒されてしまいます。ま俺の場合だけど。

天童荒太『悼む人』
 『永遠の仔』以来久しぶりに読む天童作品はやはり凄かった。愛と死と生の物語。「悼む人」静人は事故や事件で亡くなった人を放浪しながらその現場に赴いて悼む人である。死者に対して、あなたのことを忘れずに覚えておきます、と悼む人。静人の物語は静かで死に満ちているが、静人を中心に末期癌を患う母、エログロ記者蒔野、夫殺しの倖世、この三人それぞれの物語が優しく激しく交錯し、陰影に富んだ物語として読み手を惹きつける。カバーには舟越桂の彫刻。彫刻の表情が「悼む人」のイメージに結びついてしまうのだが、これは物語にとって良いことなのか...。さてそして、直木賞は『悼む人』に微笑むか?

横溝正史『本陣殺人事件』
 20数年ぶりの再読。懐かしいというより、あれっこんなにも本格推理小説だったの?と戸惑いながら読んだ。あの杉本一文表紙絵イラストによる角川文庫の横溝シリーズはほとんど全部読んだはず、なのに違和感があったのは、その後の映画化やTVドラマ化により形作られたおどろおどろしい演出により、金田一耕助モノのイメージが定着しちゃったせいか思う。本格推理小説にとって大事なのは論理とトリックなんだよね。アクションとか男のイキザマとかはどうでもいいわけで(笑)。だから横溝を読んでると、作者も金田一探偵もトリックの種明かしに夢中になっていて、死人は置き去りな感じ、死人の数なんてモンダイじゃない(笑)。そしてここが重要なんだけど、この推理は読者参加型だったんだ。だから必要なタネは全て出して置く、そうしないと後で読者よりお叱りを受ける(笑)。まあそんなことだったわけだ。俺はハードボイルドへ路線変更していたので、こんな推理小説の流儀は忘れていた。この『本陣...』が面白かったら、さらに金田一モノを再読しようと思っていたけど、この1冊だけでいいな。

柴田錬三郎『眠狂四郎虚無日誌 上巻』『眠狂四郎虚無日誌 下巻』
 シバレンの眠狂四郎シリーズは横溝正史の金田一耕助シリーズと共に二十歳前後に貪り読んだ懐かしい時代小説だ。先日懐かしさから再読した横溝の『本陣殺人事件』にはちょっとがっかりだったけど、シバレンの眠狂四郎はもう面白すぎて、このまま一年中読んでいたいくらいだ。本作は近藤(エトロフ)重蔵を絡ませ、エトロフ島の奥地の館に葵の御紋が!?なんと将軍の御落胤が!?といった物語が冒険活劇風なところが新鮮だ。それと今頃気づいたんだけど、眠狂四郎モノってのはハードボイルドだったのだ。北方水滸伝の源流に位置する和製ハードボイルドだ。簡潔な文体とキレのいいセリフ。登場人物ひとりひとりの造形の良さ。そして主人公は深い孤独ゆえの虚無に生きている。そのうえ毎回美女とのあれやこれや...。シバレンさんありがとう。まさしく昭和の宝です。

田中優子『カムイ伝講義』
 江戸学のエース田中優子が白土三平の『カムイ伝』を入り口に江戸時代の暮らしを講義したものです。『江戸の想像力』『江戸の音』で親しんでいた彼女があのカムイ伝を語るのか!?と興味津々でしたが、本書はカムイ伝を語る本ではなく、カムイ伝をベースに江戸時代の暮らしを語ったものです。白土三平の漫画は大好きでしたが、その中で『カムイ伝』は敷居の高い作品でした。漫画ではなく劇画であり、背伸びして読んだ『カムイ伝』により「非人」という民を知り、そこから階級制度を知ったのは確かなことで、そのことが後に網野善彦による中世漂泊民の世界へと導くきっかけとなったと思っています。学校で学ぶものの多くは権力者の歴史です。室町時代とか江戸時代とか、その時代の名は権力者とその中心地により区分されています。日本史の登場人物の多くは天皇、貴族、武士、僧侶といった権力者です。そんな日本史で本当の日本の姿が見えているとは思えません。本書に幕末日本の人口構成比が記されています。武士6〜7%、農民80〜85%、工商を営む町人5〜6%、神官・僧侶1.5%、穢多・非人1.6%と推定されるそうです。私達が江戸時代を思い浮かべる時、先ず江戸の町でありそこに暮らす武士と町人です。人口の8割りを占める農民の姿は見えていません。また穢多・非人に至っては歴史から抹殺されてきたと思われます。日本を知る、その文化を知り、日本に誇りを持つということは、正しく日本の歴史を学ぶということです。いったい何割の日本人が「日本」がいつから「日本」となったのかを認識しているのでしょうか?
 田中優子『カムイ伝講義』には今まで知られることのなかった日本人の生活が語られています。先ずは必読ということで。

絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』
 せっかくだからキング・クリムゾンの「エレファント・トーク」も聴いてきました。エイドリアン・ブリューがたしかに♪イッツ・オンリー・トーク〜と歌ってましたね。絲山の小説の男女関係って独特で「イッツ・オンリー・トーク」の中に " .... 私は安心した。安心して楽器になった。痴漢は楽器を奏でた。愛がないのに心がこもっていた。不思議だった。" とあります。愛し合ってはいないけどお互いが心地よい関係ってのが、絲山小説にはよく出てきますね。それともう1篇の「第七障害」には群馬の野反湖に行ったカップルが湖の一番奥を指さして " あそこにロッジがあるんだ、それで道は行き止まり...その向こうは?...新潟。山越えても何もねえけど " と。何もねえとは失礼な。野反湖の先は奥志賀林道通って秋山郷でわが津南町なのである!まあすっげえ山奥だけどね。

三羽省吾『公園で逢いましょう。』
 面白かった。団地の公園に集うママさん達のそれぞれを描いた連作集。グループ最年少の通称羅々ママは双子の母親。グループの会話から少しはなれたジャングルジムの上で携帯メールに夢中...まったくなんて母親だろ、と周りからは見られがち。でもね、最終章で彼女羅々ママは語るのだ。彼女は悲しい子供時代を送った。十代でシングル・マザーになった。もちろん育児のことなどなにもわからない。公園に来てママさんグループの近くにいると、育児のあれやこれやが耳にはいってくる。彼女はそっと聞き耳を立てている。覚えることが多いから携帯にメモしたり写メで撮ったり。覚えることが多すぎてジャングルジムの上でひとり復習している...。こんな羅々ママの健気さに切なくなりました。がんばれ世界中の羅々ママ!

今野敏『ビート』
 警察小説、ヒグッちゃん(樋口顕)シリーズです。今野の警察モノはどれも面白かったけど、これは中でも一番良い。親子の関係を核に、体育会系と頭脳型、柔道とヒップホップという一見対照的な組み合わせ上手く配置した構成が見事。物語のラスト、ああ間に合ってくれ〜という焦燥感!ジリジリしたぜ!巧いなあまったく。作者もあとがきで、「書き上げたときには、今までにないほどの充実感を覚えた。....本人が言うのも変だが、力作だ。」との自信作。はい、しっかりと受け止めましたよ。

2月********************************
椎名誠『全日本食えば食える図鑑』
 椎名のエッセイ本はドカドカ読んでたつもりだったけど、おっとこれは未読だった。タフなアニキの相変わらずの面白さってことで。

平安寿子『恋愛嫌い』
 ランチ・メイトの3人のOL、職場も年齢も違うけど妙にウマがあう。揃って恋するのがメンドウだったり傷つくのがコワかったりで男に避けて生きている。そんな彼女達の連作短編物語。短編の題名が「恋が苦手で..」「前向き嫌い」「あきらめ上手」など、ああそうかそうかな感じの話しで終章が「恋より愛を」でオチがつく。中でも良かったのが「一人で生きちゃ、ダメですか」。永井荷風の挿話の強引さにニヤリ。身勝手な親近感に永井先生も困ってらっしゃる?(笑)。

須賀敦子『地図のない道』
 異国の話しは楽しい。ことに巧い話し手は、こちらを旅の同行者としてしまう。同行者として気楽に肩を組みたくなるような話し手もいれば、良き先生と生徒のように静かに教えを受けることもある。須賀さんはもちろん先生ですね。しかも熱血先生であったり、ユーモア先生であったり。ローマのユダヤ人居住区にあるレストランで「...このレストランの白い壁を爪で掘ってでも、あの日、ここで起こったことどもを、尋ねたかった。」と、かつてナチスに強制連行されたユダヤ人達に思いをはせた文章は熱いし、またヴェネツィアの博物館では鑑賞した絵にたいして「...まるくもりあがった乳房が、大きくあいた胸もとから景気よく見えている。」と、景気よくって...(笑)。たまにはこの本のような、まっすぐな文章で眼と頭の洗濯をしなくちゃね、と思いました。

北方謙三『楊令伝 八』
 「...戦場で、強くなる者がいる。...呼延凌がそうであるし、花飛麟もそうだ。...童貫は、別のものでも見るように、戦場を眺めていた。呼延灼と花栄の息子たちである。なにか、むなしいものが、童貫の胸の中を通りすぎた。呼延灼も花栄も、その息子たちの中で生きている。...」う〜む。『楊令伝 』ではこのような童貫の内面描写が多くなった。水滸伝の英雄達の老いと、彼等のジュニア世代の台頭と若さ故の葛藤。合戦場面だけでなく人間ドラマにも惹きつけられる。

乃南アサ『風の墓碑銘』上下巻
 あの『凍える牙』のコンビ、女性刑事音道貴子と中年刑事滝沢保の活躍する警察小説。久しぶりの乃南作品で、何故かといえば『凍える牙』の音道・滝沢コンビがイマイチだったから。ミステリとして良くできた物語で印象に残っているのに、主役コンビに魅力が足りなかった。さてこの『風の墓碑銘』、最初はやはりこのコンビのギクシャク感に馴染めないものがあった。しかし読み進むうちに、ストーリーの巧みさと登場人物の描写の細やかさにひかれて物語に没頭してしまった。ミステリとして人間ドラマとして、とても巧い作品だと思った。音道・滝沢コンビにしても、ふたりのこの距離感が物語をリアルなものにしているようでもあるし。ところで『風の墓碑銘』の " 墓碑銘 " に " エピタフ " とルビがふってあるところに、オールド・ロック親父は激しく素早く血がたぎったのだった。

倉橋由美子『暗い旅』
 インテリな文学だなあとつくづく...。大衆文学ってのがあるわけだから、大衆向きじゃない文学もあるのですね。懐かしかったな。昔は背伸びしてこうゆうのも読んだからなあ。で、あまり面白くなかったからシバレンとか読み出したのでした。が、今読んでみるとけっこう面白い。『暗い旅』は、その背景が、新幹線以前の東海道線とかジャズ喫茶とかベーゼ(接吻)という言葉とか時代を感じさせるものの、若者の生き方として古臭さいとは思わなかった。この頃の若者の精一杯背伸びした感じは好きだしそれなりに成熟していたと思う。逆に70年代以降の若者(俺もだよ)は " 大人になりたくない症候群 " な感じだったから、どーも俺の中には引け目ってのがあるんだな。作者による「作品ノート」の中に " ...小説の本家はあちら(西洋)だという意識なしに無邪気に国内の流行だけを追って小説を書いている人を見ると、西洋乞食の真似をしているという意識もなく仲間同士で真似し合っている若い男女を見た時と同じ不可解な気分に襲われる。... " とあり、う〜むこれは日本のロックやフォークにも言えてるなと思いました。

はらだみずき『サッカーボーイズ 再会のグラウンド』
 少年サッカー・チームの物語。小学生として最後のシーズンを迎えた6年生チームとその専任コーチ、父親達のボランティア・コーチ、ライバル・チーム、そしてそれぞれの家族。俺も10年間サッカー・スポーツ少年団のコーチをやっていたから、とても身近な物語としてハラハラしたりジーンとしたりで楽しめた。勝ち負けを重視するか、それとも先ずは楽しむことを大切とするか、これは小学生スポーツの指導者として常に頭を悩ます問題だった。俺は小学生年代で勝ち負けにこだわるべきじゃないが持論だった。でもゲームに勝つことで子供達がガラっと変わることも知っている。才能のある子がいれば伸ばしたいけど、11人全員に才能があるなんてことはない。チーム内には上手い子もいればヘタな子もいて当然なのが小学生スポーツだ。この物語の中のコーチもやはり同じ悩みを抱え、そして行き着いた自分の信念 " 子供達にサッカーを返すこと " を実践する。大人の意図ではない子供達が楽しめるサッカーを。ゲーム前の円陣で叫ぶかけ声は子供達が自ら考えた。それは「エンジョーーイ!」「フットボール!」。

沢木耕太郎『凍』
 山野井泰史・妙子夫妻がヒマラヤの高峰ギャチュンカンに登りそして帰ってきた記録。想像を絶する苛酷さに屈することなく帰還したふたりの記録。読み終わりしばらく呆然とした。高度7200メートルの岸壁に幅10センチの棚を作りビバークとか7000メートル地点ではブランコ状態つまり宙づりで夜を明かしたり、しかも気温は零下30とか40度。吹雪にやられ雪崩に襲われ...なんなんだ!これは! 誰に頼まれたり命令されたわけじゃなく、ふたりはここにいる。それで泰史は右足の指5本全部と左右の手の薬指と小指を、妙子は手足の指20本のうち左足の小指と薬指以外の18本の指を凍傷で失っても、それでもなおクライミングをやめないふたり。人間とはここまで強くなれるものなのか、と深く考えてみる。考えても答えは出そうにない。ただただ感嘆しそして深く感動した。昨年末のことらしいが、山野井泰史さんは住んでいる奥多摩山中で熊に襲われ今度は鼻を失ったという。それでもまた山に向かうんだろうな。

江國香織『間宮兄弟』
 もてない兄弟の話だった。30過ぎで兄弟ふたりでマンション暮らし。仕事もあるしお金に困ることもない。気は優しいからモメゴトもない。周りの女達からは、恰好わるい、気持ちわるい、おたくっぽい、むさくるしい...いい人かもしれないけれど、恋愛関係には絶対ならない...と思われている。そのことは兄弟にとってちょっと悲しいことだけど、今の生活に幸せも感じている。清く正しく(美しくはないけど)生きている兄弟になんの文句があるものか。

3月***************************
デイモン・ラニアン『ブロードウェイの天使』
 訳は加島祥造。20数年ぶりの再読でしたが、やはり抜群に面白いし巧いと思わず唸ってしまうラニアン短編集です。舞台は'20年代(おそらく...)のNYブロードウェイ。華やかな表通りの裏側、ブロードウェイの裏通りに巣くう様々な人々の悲喜こもごもを生き生きと描き、そしてどの作品もラストのオチがすとんと心地よくハートに響きます。大好きだった映画監督ビリー・ワイルダーなら、これら小編で素敵なコメディー映画が出来ただろうな、と読むたびに思います。

打海文三『裸者と裸者』上下巻
 『されど修羅ゆく君は』などの新しいタッチの探偵小説で彼のファンとなりずっと読み続けたが、『ハルビン・カフェ』のあの陰惨な感じに馴染めず、それでこの『裸者と裸者』の単行本に手が伸びなかった。この小説がその後『愚者と愚者』『覇者と覇者』と書き継がれ、その上々の評判を読み、そして打海文三の急逝があり、やはりこの小説群をきちんと読んでやらねば打海に申し訳ない気分になっていた。
 『裸者と裸者』は近未来戦争小説だ。舞台は日本。内戦勃発の日本だ。主人公は7歳の戦争孤児海人。成長小説でもある。海人は妹と弟のために体を張る。軍隊の中で出世をする。戦争小説だからもっと悲惨さが溢れていてもいいのに、ドライな筆致のせいか淡々と物語は進む。そして不思議に颯爽と感じられるのは海人や月田姉妹の割り切りの良さと逞しい行動力ゆえなのかなと思う。日本の内戦の中で孤児部隊や多国籍部隊、女性部隊、少女部隊などが活躍する異質さ。馴染めない部分も残しながらも、これはたしかに面白い。続編の文庫化を待とう。

佐藤優『自壊する帝国』
 ドキュメント!外交官は見た!ソ連崩壊の現場を! と書いちゃうと安っぽいな。いやいやこれは重厚な外交ノンフィクション本であるとともに、臨場感溢れるスパイ小説のような面白さも提供してくれます。佐藤優はあの鈴木宗男絡みの事件で逮捕された外交官で、あの頃は新聞テレビで報道される佐藤優像しか判らずに、ただたんにコワモテで異色な外交官なんだと思っていた。これを読んでみると、たしかに日本人としては異色な部類と思える。ロシア風を真似ればディナモ・佐藤だな。凄い馬力の持ち主だ。その馬力の源が体力でなく知力だというのも痛快だ(あの身体つきだから体力もあるだろうが)。それと酒の強さも並みじゃない。ソ連では交渉力=酒の強さだってのが凄い(ちょっとあきれた)。エリツィンはいつも赤いほっぺしてたねえ、と思い出す。刺激的で面白い本なんだけど、でもねえ、これじゃあ佐藤優ってかっこ良すぎない?とも思ってしまった。

椰月美智子『十二歳』
 小六少女の6月から卒業までの物語。大きな事件や家庭騒動が起こるわけでもなく、普通の学校生活やら家庭の出来事を小六少女の目線で描く。ささやかな日常のその生き生きとした心模様がとても良い。うちの小六の娘のことを考えてみる。学校で親の目の届かない所で、娘はどんな表情で笑ったり怒ったり泣いたりしてるのだろう、友達とはどんなふうにつき合ってるのだろう、先生に軽口をきいてるんじゃない、とかいろいろ思いながら。

絲山秋子『沖で待つ』
 気が付けば絲山ファンになっていたよ。で、ようやくこの『沖で待つ』、芥川賞受賞作ですね。文庫化ばんざい!。ダメ男小説の絲山なんだけど、ここに登場の男 " 太っちゃん " はけっこういい。同期入社の及川と太っちゃんの気心の通じ方がいい。山本幸久の仕事仲間小説に似たほっこり感がいいな。

池上永一『シャングリ・ラ』上下巻
 近未来小説とも異世界ファンタジーともいえるしサイバー・パンクな感じもありの超娯楽大作。舞台は東京、加速する地球温暖化を阻止するため都市を超高層建造物アトラスへ移して地上を森林化してしまうという凄い物語設定。奇抜なアイデアが次々と飛び出してくる。中でも擬態装甲ってのが超凄い。もうここまでくるとアニメの世界を連想しちゃうね。「國子は一度、地上に降りることにした。帝としてアトラスに上がるときにはドゥオモから出発したかった。地上の難民達を引き連れ、アトラスに入ることこそ、平和の時代の始まりに相応しいと思っていた。しかし今、夕陽に抱かれているこの瞬間だけは普通の十八歳の少女でいたかった。...」。主人公は國子。そして登場する女達の逞しいことったらない。凄い男がふたりいるけど、そのふたりはニューハーフだし(笑)。着想、キャラ立ち、展開、小道具等々じつにお見事です。作者最新作('08)『テンペスト』も読みたいがこれも上下巻、文庫化まで待てるか?

4月******************************
西原理恵子『パーマネント野ばら』
 西原読むたびに女の逞しさにタジタジとなるなあ。気の弱い男子はコソコソと逃げ出すかも(笑)。でもここで逃げ出すような男子は求めておらんのだな女子は。

矢野隆『蛇衆』
 舞台は室町後期戦国前夜の九州、破天荒な強さを発揮する傭兵集団「蛇衆」の物語。読み始めは和田竜『忍びの国』のようなヒーロー物かと思いワクワクしたのに、ラストがどうもねえ。『忍びの国』のような痛快さがない。せっかくひとりひとりのエピソードを混ぜ込んだのにこのラストじゃもったいないと思った。滅びの美学は武士だけにしといてくれよ。

中島誠之助『ニセモノ師たち』
 悪党小説を読んでるような楽しさだった。あとがきで「無断でのシナリオ執筆によるドラマ化等は、切につつしまれたい。」とわざわざ中島さんが記するほど、骨董品のニセモノをめぐるお話しが人間ドラマとしてじつに楽しい(端で見てね)。骨董の世界にはド素人(ビンテージのギターには興味があるけど)だったのでヘエヘエ・ボタンを叩きっぱなしで、例えば...「目利きの人、あるいはプロの骨董商は鑑定をしません。...鑑定士の名のもとに鑑定をしているテレビ番組や講演会・鑑定会などの場合、鑑定は私の芸能活動であり公共の使命と割り切っています。」とある。なるほど芸能活動か(笑)。いい仕事してますねえ。

高城高『墓標なき墓場』
 和製ハードボイルド小説を熱心に読み始めたのは北方謙三、大沢在昌、志水辰夫などが活躍を始めた'70年代の終わり頃からで、それ以前の作家についてはよくは知らなかった。大藪春彦、河野典生を読んでいたくらいで。そこでこの高城高( こーじょーこー)、彼こそ和製ハードボイルドの先駆者だと知り、そして読んでみた。いいねえ、このしっとりとした情感あふれるミステリー。舞台は昭和30年代の北海道東部釧路から根室あたり、サンマ漁で賑わう町の荒くれた感じが背景として効いている。主人公は新聞記者で、作者自身が北海道新聞の記者だったせいか物語にリアリティが感じられる。1962年作品の46年ぶり初文庫化として、まさに濃霧の彼方から忽然と甦った和製ハードボイルド小説の名作。これだから本捜しはやめられないな。

森下くるみ『すべては「裸になる」から始まって』
 人気AV女優(なんと10年選手!)のエッセイ集なんだけど、解説の花村萬月が指摘しているとおりなかなかの文才です。AV辞めて作家になるのかな。「....まったく、人間の価値観というのはおもしろい。多種多様で、限りなく残酷になれて、限りなく偏れて、限りなく狭くも広くもなれる。そのさまざまな価値観を、AV女優という側から見られて、得したくらいだ。」と彼女。AV女優について偏見を持たずにいられない俺のような男にとって、つい「ごめんなさい!」と言ってしまいたくなるほど、この本の森下さんは立派です。

山本幸久『笑う招き猫』
 お仕事(職場)小説の名手による初期作品が文庫化されてたので読んでみました。これもお仕事小説と言えるのかな。女性漫才コンビのお話し。登場人物それぞれのキャラ立ちの良さは抜群で、話しのテンポも良くて、泣けるエピソードも用意しエンタメ小説として文句なし!。漫才コンビのアカコとヒトミが深夜自転車二人乗りで自分達のテーマソングを歌うシーンが印象的な " しあわせなのよ♪" 小説でした。

5月*****************************
福井晴敏『Op.ローズダスト』上中巻
 う〜ツラかった。戦後日本の国防とその国民意識の在り方について延々と意見を聞かされての中巻だった。こうした作者自説の開陳は他に新書にでも発表すればいいんで、小説ではもっとスマートにストーリーに絡めて欲しい。越後七浦の海岸で3人がローズダストに出会うシーンの抒情が、上記の理由で隅っこに押しやられた感じでもったいないよ。まあ続く下巻が面白ければ許すとしよう。
 下巻読了。緻密なうえに凄いヴォリュームで活字に溺れそうになりながらもようやく全3巻を読み終えた。長すぎた物語に、良いシーンやエピソードが埋もれぎみに感じられた。ひとりひとりの奮戦が冴えていただけに、長ったらしい " 思考 " の部分に邪魔されてそれが残念だった。面白い物語なだけに...。

嶽本野ばら『下妻物語』
 おじさん胸があつくなったよ(笑)。ヤンキーちゃんとロリータちゃんのお笑い満載(思わず吹き出すよ!)の青春友情小説なんだけど、解説の吉田伸子が指摘するように、異端であることの孤高を重んじる精神の気高さ(おおっ高尚だ!)に拍手を贈りたくなる物語でした。ぱちぱちぱち。続編も文庫になったら読もう。

エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人・黄金虫』
 探偵小説や推理小説を含めた所謂ミステリの創始者がポーだと意識したことはなかった。たしかに「モルグ街の殺人」は推理小説だし探偵小説でもあるしね。なるほどなあ。19世紀前半に書かれたことを想えばまさにヴィンテージ・ミステリの味わいだよね。しかもこの犯人このオチは怪奇さは19世紀的で楽しい。「黄金虫」の暗号解読と宝探しもやはり19世紀的でそこがまた面白い。ポーはミステリ小説だけでなくゴシック・ホラー小説でも有名だしもちろん詩人としても有名なんだけど、この文学的多才さは彼が雑誌編集者だったことに関係があるという説に興味が湧いた。ミステリというジャンルは雑誌の興隆と無縁ではなかったのだな。

ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』
 こうした探偵(本格)推理小説は相変わらず苦手だと再認識した。TVでやってる『名探偵の掟』みたいなパロディに笑えるのは、ひとえにこうした本格ミステリの名作があったればこそ、なんですね。

恩田陸『ブラザー・サン シスター・ムーン』
 読みながら、恩田陸のことだから突如ホラーになったり、またミステリが顔を覗かしたり、気が付けばパラレル・ワールドだったり...何か小説の中に仕掛けがあると思っていた。ところが素直な私小説風青春小説だった。これはこれで楽しい。ここに出てくるジャズ研は早稲田大学モダンジャズ研究会のことだと思うけど、このレギュラー・コンボに関する話しは面白いから、これだけで一遍の青春ジャズ小説が生まれても良いように思えた。

萩原健太の『ロック・ギタリスト伝説』
 萩原は俺と歳が同じなので、様々なロック・ギタリストを語る時のロックの時代風景が同じ感じなので読みやすい。その上ギタリストでもある萩原なので、そのミーハーぶりも楽しめる。

高城高『凍った太陽』
 昭和30年代初期の日本ハードボイルド黎明期の名作とあるけど、たしかに暗い情感を乾いたタッチで描きリアルな味わいを持つハードボイルド小説集だった。巻末のハードボイルドについてのエッセイ「われらの時代に」ではヘミングウェイについて述べ、第一次大戦に参加し、戦争の無意味さと名誉とか犠牲とかの抽象的な言葉の虚偽を知り深い傷を負った " 失われた世代 " からハードボイルドは生まれたとしている。それでは第二次大戦後の日本に " 失われた世代 " は生まれたか?と考察し、日本では終戦というより敗戦の衝撃が大きくて、戦争ボケであったり伝統と因習への盲従という無気力感が世代を覆ったと高城は書いている。でも俺はこの昭和30年代のハードボイルドを読んで思うのだが、やはり俺達30年以降に生まれた世代とは明らかに違った暗く酸っぱい人間臭さを感じる。兵隊として戦場で行ってきた男達、米軍の空襲に襲われた銃後の民衆、そんな多くの日本人は " 死と暴力 " が身近にあった人達だ。そんな日本人が生きた敗戦後の日本には「りんごの歌」の明るさの裏には、俺にはうかがい知れない心の暗部があったと思う。だから俺はこの高城のハードボイルドが持つ暗さと酸っぱさにリアルな怖さを感じてしまう。とか書きながらも印象に残ったセリフはといえば、...男が電灯のスイッチに手を伸ばす...女はスーツのボタンを外しながら...「つけておいて...」「消したらほかの男と同じになってしまうわ。あんたの顔、見ていたいのよ」。こんな女と出逢えるのもハードボイルドの愉しみなんだよね。

鈴木カツ『クラシック・カントリー&フォークを創った180人』
 以前『ハート・オブ・アメリカ〜カントリー・フォーク決定盤』の名で出ていたけど絶版になっていた本で、俺も一時古本で探してました。再発されてよかった。

平岩弓枝『小判商人...御宿かわせみ33』
 大川端町の旅籠「かわせみ」に寄らせてもらってます。馴染みの人達に会えて、面白い話しを聞かせてもらい、ほほう〜そんなことがあったのかい、なんてね(笑)落ち着きますねえ。子供達が会うたびに(読む度にだけど)大きくなっていてびっくりで、年に1〜2度文庫本で会うだけだからその成長が楽しみだったりする。でも時代はいよいよ維新に近づき、かわせみの皆さんにどんな明治が待っているのか心配だったりする。

関祐二『蘇我氏の正体』、岡田英弘『倭国の時代』、坂本勝『古事記と日本書紀』
 日本の古代史が楽しいのは何といっても『古事記』『日本書紀』という頭抜けたトンデモ本があるからで、これが官撰の史書であるってのが面白さに拍車をかけるわけです。ウソ八百の記述の中から珠玉の真実を見つけだす楽しさこそ古代史ロマンなのであります(笑)。今朝の新聞に奈良の箸墓古墳近辺発掘調査により築造期が推定され、それが邪馬台国の卑弥呼の死亡時期に近いことから卑弥呼の墓の可能性が極めて高くなったとありました。当然そんなことで北九州説を唱える人達が納得するはずもなく、いやあまったく面白くなってきました。古墳近辺の発掘とわざわざ書いたのは、古墳本体は宮内庁にがっちりガードされていて中を覗けないんだよね。他の大きな有名な古墳も皆同じ。これは古墳の中を調べられては困るナニカ(天皇家に関するナニカ?)があるのかなと勘ぐるしかないわけで、これも又古代史を面白くしている要因ですね。隠せば隠す程トンデモ古代史は増殖し我々を楽しませてくれるってわけです。

6月******************************
椰月美智子『るり姉』
 三姉妹と看護士の母親、そしてその母の母がいて、看護士母の妹(るり姉)がいて、男はアッシー君として登場するるり姉の夫だけ。いよいよ家庭小説から男がいらなくなったと実感できた。

カトウコトノ『将国のアルタイル 3-4巻』
 異世界の地図を見ていると冒険心が湧いてくる(冒険する勇気ないくせに)。セントロ(央海)の北にルメリアナ大陸があり、主人公マフムートの国トルキエ将国と強大な軍事力で領土拡大に進むバルトライン帝国があり、海洋都市国家ヴェネディックやポイニキアがある。セントロを挟んだ南の大陸にはサロス王国というのがあるらしい...。これがこの漫画の世界だ。犬鷲の将軍(犬鷲使いなのだ!)マフムートの冒険譚にワクワクなのだ。

小川糸『喋々喃々』
 ヒロインは東京谷中でアンティック着物の店をやってる推定28歳。先ずはこの舞台が良い。谷中、根津あたりから浅草界隈がおもな舞台。美味しそうな食べ物屋がたくさんあり、酒も旨そうだ。俺もこんな町の住人になりたかった。祭りも多いしね。かつての恋人雪道君のエピソードが泣けるね。じいんときたよ。そして今の恋だけど、北上次郎の指摘に同感で不倫関係じゃなくてもよかったと思う。その上この男が身勝手な甘えん坊に見えてくるとこが、同姓のおじさんとしてはツライのだな。もちろんこの男の気持ちはわかるけど...。ただこの物語の澄んだ空気感と小春日和な雰囲気に不倫は似合わないなあ。

レイモンド・チャンドラー/村上春樹訳『さよなら、愛しい人』
 やっぱりこれは最高だ。久しぶりにしかも村上春樹の新訳で、もうそのキレのいいセリフにシビレながら読みましたよ。私立探偵フィリップ・マーロウがムース・マロイにでっくわす冒頭があり、マーロウと ミセス・グレイルの艶っぽい中盤があり、そしてマーロウ、グレイル、マロイによる結末がある。グレイルとマロイが物語の中心なのに、このふたりが登場する重要な場面は先の3回だけ。この3場面をつなぐシャープな展開と脇役達の人物描写の素晴らしさ、そして常に繰り出されるマーロウのワイズ・クラック(へらずぐち)。好意を寄せてくれる女性に「何かにつけその手の言いまわしをしなくちゃ気が済まないのね」と呆れられ、「シェークスピア的タッチと言ってもらいたい....」と返すマーロウ...(笑)。楽しかった!至福の読書だよねえ。

北方謙三『楊令伝 九』
 「疾駆しながら、童貫は何度も喜びに襲われた。...勝敗にこだわってはいなかった。...こうやって駆けられる日を、ただ待っていた。...童貫。闘っている。同じ戦場を駆け回り、お互いを求め合っている。」「...楊令の心はふるえていた。...自分がどう動いたのか。まだ、雷光の上にいた。...童貫の馬。馬だけだ。」.....嗚呼....ふぅっとため息。衰退する王朝があり、芽生えたばかりの国がある。スピィーディーでスリリングでスペクタクルな合戦描写は超怒級。至福の読書だった。

浦沢直樹×手塚治虫『プルートウ 08』
 別冊ふろくが2冊付いてついに完結!ああ凄面白かったなあ。原作は俺が『鉄腕アトム』の中で一番印象に残っていた「史上最大のロボット」で、この印象深さは俺と同世代のアトム・ファン共通であったらしい。その原作をよくぞここまで膨らませて楽しませてくれた浦沢直樹にブラボー!だ。アトムとプルートウが泪を流しあうシーンの悲しみ、「憎悪からは何も生まれないよ」と話し跪き倒れるゲジヒト。ロボットの哀しみは人間の醜さにより作り出された。手塚治虫がアトムで表現したヒューマニズムは浦沢直樹にしっかりと受け継がれていた。それにしても剛腕ウラサワナオキ!

北方謙三『血涙 上下巻』
 「...剣技がどうのという段階では、もはやない。技のぶつかり合いではなく、意地のぶつかり合いでも、生命そのもののぶつかり合いでもない。強いて言えば、哀しみと哀しみのぶつかり合いだった。」武門に生きる楊家の兄弟達が宋と遼二国に別れぶつかり合う。楊家将の続編であり、水滸伝から楊令伝へと繋がる英雄達のクロニクル。

7月***********************************
椰月美智子『しずかな日々』
 椰月さん、いいですねえ。この温かさが大切なんです。「おじいさんと一緒に過ごした日々は今のぼくににとっての唯一無二の帰る場所だ。だれもが子どものころに、あたりまえに過ごした安心できる時間。そんな時がぼくにもあったんだ、という自信が、きっとこれから先のぼくを勇気づけてくれるはずだ。」小学5年生男子のきらきらしたひと夏の物語。放課後の空き地に集まる仲間たちがいいね。そしてなによりおじいさん。遊びに来た仲間たちに「ほら、これ」とお盆に載ったきゅうりとなすの漬物、そして熱いお茶。「暑いときにこそ、熱いお茶がいい」とおじいさん。はじめて見る漬物というおやつのビックリする仲間たちだけど、「うまい、うまい」とみんなたべちゃう。おじいさんの古い家の縁側と少年達の夏休み。大人になった少年は思う。「人生は劇的ではない。ぼくはこれからも生きていく」と。

『ザ・ベンチャーズ栄光の黄金時代』
 ベンチャーズに対しては屈折した思いがあるんだけど、エレキ・ギター好きには避けては通れないベンチャーズだよね。ベンチャーズに関しては後から知ったことや気が付いたが多くて、例えば初期のギターはフェンダーだったとか、ギターの音がけっこうラウドで(フェンダーから高出力のモズライトに変わったから)ガレージ・ロックな風だったとか、だから改めて聴くと面白さ満載なのがベンチャーズだったりするわけですね。そして6月14日に亡くなったボブ・ボーグル、ドン・ウィルソンと共にベンチャーズの中心だったボブに合掌。テケテケテケテケ〜♪

ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』
 柳瀬尚紀による『ダブリン市民』の新訳です。アイルランドの音楽が好きでアイリッシュ・ウイスキーが好きで黒ビールのギネスが大好きな俺にとって、ジョイスの『ダブリナーズ』は避けては通れない小説なのです。まあいつかは読みたいなと思っていた程度ですが(笑)。くだけた調子で描かれたダブリン市民の短編集で、やはり人々の喜怒哀楽に寄り添うようにウイスキーと黒ビールと音楽があるってのが俺には嬉しかった。

西川美和『きのうの神さま』
 小説『ゆれる』では、その才気が荒れ削りのまま放射されている感じがあり、それがまた魅力だったけど、この本作はほんとよく熟して練り込まれた味わいがあり素晴らしい。彼女が監督の映画『デイア・ドクター』がらみで宣伝されてるとおり、お医者さんと患者にまつわる短編が4つ収められていますが、医者がらみでない一編「1983年のほたる」が一番印象に残った。ここではない何処かへ行きたいと漠然と思い、往復3時間の塾通いをする少女。帰りのバスでワケアリ運転手と二人きりになってからの話しがじつに巧い。全編に感じるのは登場人物と作者との距離の取り方と視線の良さ。鋭い人間観察を温かさが包み込んでるから物語がキツクない。映画監督として、そして小説家としても西川美和は凄いのだ。

平岡正明『昭和マンガ家伝説』
 松本零士を語る章では「...軍国少年がフケて、対戦国アメリカの芸術、軟派映画とジャズに飛びこむ過程に日本の戦後思想がある。」とまた断言。マンガを論じながらも、永久革命、ブルジョワジーとプロレタリア、ルンペン・プロレタリアート、プチブルなんて言葉がばんばん飛び出すのが平岡節。やっぱ平岡の評論は、これはひとつの(新左翼)芸能なんだと思う。こんなに楽しませてくれた評論家は平岡正明だけだったもんね。合掌...

カズオ・イシグロ『夜想曲集』
 読んだ人を神聖な気持ちにさせるようなあの名作『わたしを離さないで』の作者による短編集。副題が「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」。たしかに音楽はある、あるけどこれはワケアリ男女とその周辺をノスタルジーを交え細やかに描いた物語。夫婦間で交わし会う「愛してる」という言葉が時に息苦しく思えるのはキリスト教社会ゆえの特徴だろうか。

難波弘之、井上貴子編『証言!日本のロック70's』
 70年代の日本のロックを語るトークショーの記録です。レギュラー・スピーカーにPANTA、難波弘之、ダディ竹千代。ゲスト・スピーカーに土屋昌巳、山本恭司、岡井大二。そして司会が井上貴子。井上以外は知る人ぞ知る日本のロッカーな方々ですね。井上貴子という人は東京芸大出の大学教授ですが、なんとダディ竹千代&東京おとぼけCatsに在籍していたというから面白い人ですね。70年代のロックは俺にとっても原点なわけで、だからここで語られていることはよくわかるし肯けることだらけで嬉しくなる。そもそも70年代の日本ロックって「ど」マイナーな世界で、そんな頃急に大売れしだしたフォークへの反感はみんなけっこう持っていたんだよね。「許せるフォークと許せないフォーク」の章で難波が言ってる「フォークの皮をかぶった演歌(アリスやさだまさし)はだめっ」って気持ちはよくわかる。ついでに「ロックの皮をかぶった演歌→チャゲアス、アルフィー、B'z」ってのももっともだよな。俺なんかXジャパンの正体はウルサイ松山千春だと思ってるから(笑)。アリスやさだまさしのような売れセン・フォークについて俺なりに補足すると、彼等の歌に感動できたとしてもそれは演歌/歌謡曲的感動なんだよね。彼等は歌謡界からデビューしてもよかったわけだ。それをフォークのスタイルを真似て演歌/歌謡曲を歌い、しかも大ヒットする、このことが卑怯に思えて非常に面白くないわけだ。ああなんか血圧上がりそうだからこのへんにしとこうかな。

『月刊カドカワ 総力特集 福山雅治』
 「僕らがやってることは、部品作ったり、畑を耕したりっていうことととジャンルは違いますけど、ものを作る現場、制作部なんです。でも、そうじゃない形で、お金を投資して利益を得るシステムがある。それは全然否定しないですけど、ただ、その影響は僕らにもかぶってくる。その現実や社会の構造も知らずに、愛とか夢を歌う時代はとっくに過ぎ去っていて、そうゆうこともきちんとわかりながら、愛や、夢や、希望や、自由や、っていうことを歌ったり感じたりしなければいけないっていうのが、僕の30代中盤からのソングライティングで気をつけていることです。」と福山雅治は語る。福山はそのアイドルっぽいルックスで、たしかに芸能界のアイドルとしての側面を持つ超人気者だけど、かれはずっと(ギターを抱えた)シンガー・ソングライターでもあったってことが重要だと最近感じている。

『忌野清志郎 永遠のバンド・マン』
 「...「他人に必要とされたい」というテーマを持ち出したところ、「自分が自分を必要としていればいいんだ。他人に求められるなんて困っちゃうよ」...」と答えたのは忌野清志郎。自分が自分を必要としているという強い気持ち、唯我独尊とも言える孤高があったからこそ、反骨・反権力を貫くことができたんだと思う。反骨のバンド・マン、天晴れなソウル・マンであった忌野清志郎に合掌。

松井今朝子『吉原手引草』
 巧い、この構成は見事。吉原一の花魁葛城が起こしたある事件。最初はなにもわからない。葛城を廻る人々の証言が積み重なっていく。ぐいぐい物語に引き込まれる。小千谷の縮緬問屋まで登場!魚沼弁になごむ。主役たる花魁葛城に自らを語らせることなく、葛城の物語を見事に作り出した技量に感服。江戸吉原モノは少なからず読んでるつもりだけど、これほど判りやすく親しみやすい吉原案内は初めてだった。

8月********************************
北方謙三『楊令伝 十』
 禁軍総帥の童貫亡き後、宋は北から金の侵攻により江南へと本拠を移す。各地に軍閥が興る中、新しい国造りを目指す梁山泊。合戦シーンが減ってちょっと静かな物語となった本巻。黒騎兵を率い疾走する楊令の姿を見たいものだが...。

わぐりたかし『地団駄は島根で踏め』
 「急がば回れ」とか「らちがあかない」「ちんたら」「うやむや」など、普段使われることの多い言葉の語源にせまるという本。なのだが、語源にせまるために旅をし美味いものを食べ面白い話しを聞く、そんな筆者の楽しみがよく伝わってくる本なので、学術書より気楽に日本語が勉強できるウンチク本として話の種になる、そんなふうに楽しめる本でした。続編を期待。

宮本常一『忘れられた日本人』
 "旅する巨人" 宮本常一の代表作をついに読みました。「土佐源氏」凄いね!大河小説のごとき文学だよね。でもノンフィクション。俺が小さかった頃、国道は狭い砂利道だった。ムラの家々は茅葺き屋根で、小さな玄関の引き戸を開けると土間があって土間の横に牛が飼われていた。養蚕も盛んでムラのまわりは桑畑そして家の中には蚕棚があった。耕運機が普及し牛がいなくなると、その場所が機織りの部屋に替わった。絹織物の出機(でばた)が盛んな頃だった。その後十日町の絹織物が斜陽となり出機も姿を消した。今は高齢者を除けばムラの働き手のほとんどが勤め人となった。これは俺が記憶しているムラ(卯之木)の変わり様だ。宮本常一はこんな話しをより細密に収集しながら、日本全国を歩き廻った偉大な民俗学者だった。この本で語られているのは明治から昭和初期のムラの生活史。特に驚かされたのが「夜這い」「歌垣」などの風習に見られる大らかなセックス。昔ってこんなに解放的だったんだ!

三浦しおん『神去なあなあ日常』
 高校出たらまあテキトーにフリーターで食っていこう、「将来」なんて全然ピンとこないから考えないようにしていた少年が、卒業式終わって担任から言い渡された就職先とは?そこは三重県山奥の神去村。いきなり林業に従事するハメとなった無気力少年の成長記なんですね。『忘れられた日本人』読んでこの山奥林業小説にきたから、その古くからの風習など似た感じがあり、とても面白かった。ともあれこちらは青春小説でもあるので恋有り...う〜んあとは山ばっか(笑)。御神木ジェットコースターがとにかく凄かったな。

西加奈子『きりこについて』
 どうもピンとこなかった。猫好きではないせいか?絶世のブスと猫が主人公で、そのどちらにもピンとこないまま、さらっと読んでしまった。

大島真寿美『虹色天気雨』
 女友達小説です。男なんかいらないわ小説です。女達の元気さを楽しむ反面、男達の影の薄さに現実世界を重ね合わせ、へんに納得できるところがビミョーに寂しかったりするなあ。現にカミさんと娘は父をおいてディズニーランドへ遊びに行ってるし(笑)まあね、「女が元気=平和」ということなんだな。

東郷和彦『歴史と外交』
 東郷和彦は外務省欧亜局長やオランダ大使などを歴任した外務省キャリア外交官で父もキャリア外交官で祖父東郷茂徳は太平洋戦争開戦時と終戦時の外務大臣。つまり貴族的ともいわれる外務省外交官一族なわけだ。そんな東郷による「靖国・アジア・東京裁判」論である。本人曰くイデオロギー的には右でも左でもなく中立に近い立場で書いたとあるけど、階級的な上から目線(本人は気付いていないだろう)な論考だと思う。東郷のような戦時体制を指導した支配者階級に連なる一族だからこそ、もっと国民に対して真摯な反省と謝罪の言葉が聞きたかった。つまり戦争に負けて、国民と国土をどん底に突き落とした責任は東京裁判じゃなくて直接国民によって裁かれその上で国民にたいしての謝罪が必要だった。ところが国民に対する謝罪をなんと「一億総懺悔」なんていう姑息な手段にすり替え、戦後ものうのうと生き延びた戦時体制指導者の多かったこと、これこそ戦後日本の病理だ。ヒトラーとナチスを完全否定し拒絶し続けることから戦後社会を築いたドイツに対し、日本は戦争責任を曖昧にしたことで戦後無責任社会を築いてしまった。と庶民な俺は考えているわけだ。
S・J・ローザン『冬そして夜』
 久しぶりのハードボイルド探偵モノですごく面白かった。コロラド州の小さな町の高校で実際に起きた事件、日頃からジョックス(アメフト部を中心とした体育会系の生徒)にいじめを受けていた二人の生徒が銃を持って登校し13人の生徒・教師を銃殺しそして自殺したあの事件、映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』の元になった事件だが、本作の背景には明らかにこの事件がある。だから社会派小説でもあるわけで、だからこのラスト、解決したのか判らない宙ぶらりんな感じに、これが現実ってことなんだろねと思うけど、でもやはりエンタメ小説的な痛快な終わり方もあったんじゃないかなあとも思う。

9月***********************************
小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』
 素晴らしい!さすが小川洋子だ。まさに物語だ。私小説など実生活を描くようなものとは違う物語世界。すこしズレた世界を書かせたら、小川洋子はじつに生き生きとじつに巧い。チェスに生きた男の物語なのだが、チェスをまったく知らなくてもチェスが愛しく思える、そんな物語を創り出す才能にため息ひとつ。リトル・アリョーヒンとミイラの恋の物語。すこし悲しく、静かな感動がある。

片岡義男『花模様が怖い-謎と銃弾の短篇-片岡義男コレクション1』
 編集はハードボイルド&ミステリの案内人池上冬樹。俺にとって片岡義男は『僕はプレスリーが大好き』に尽きる。50年代以降のアメリカの音楽とそれを取り巻く風俗を描いたこの本は、俺のアメリカン・ミュージックの副読本だった。彼の小説は読んでない。トレンディ映画の原作としてもて囃されたせいであえて読まなかった気もする。だから今になって再び片岡義男だ。ハードボイルド短編集。ハードボイルド風クライム・ノヴェルといった感じかな。ハードボイルドは好きだけど、これは面白くなかった。残念。たんにドライで刹那的衝動的でストーリーが稀薄。残念。

みうらじゅん『色即ぜねれいしょん』
 1958年生まれのみうらは俺より2つ下だからほぼ同世代。だから彼の自伝ともいえるこの高校1年男子達の青春が、俺には痛いほど恥ずかしいほどよくわかる。「ポケットパンチOh!」やら「フリー・セックス=スウェーデン」やら奈良林先生の「ハウ・ツー・SEX」やらが時代を思い起こさせ(ヒゲゴジラも!「ハレンチ学園」...なんという時代だ!(笑))、思春期男子のエッチな妄想が生み出す悲喜劇を想い出させてくれる小説だ。小説では夏休みに3人組でフリーセックスの島=隠岐島(妄想)でユースホステルに泊まるって話しで、主人公はギターを持って行くんだけど、そこんとこも俺の想い出と重なるんだよね。俺達は4人で能登へ行ってユースホステルに泊まって、しっかりギターも持ってね(笑)、あの頃ギター持って旅に出るのが流行りだったのかなあ?でもねこの小説、思春期男子のエッチな妄想の話しが主題じゃなくて、ロックな青春物語なんだと思うよ。文化祭のシーン、周りは拓郎のコピーやかぐや姫、NSP、ふきのとうなんかのコピーバンドばかり、ディラン好きの主人公はオリジナルの弾き語り、そんなところへヤンキー・バンド " 法然ズ "(仏教系高校だから) が強引に割って入ってキャロルのコピーを歌い出す。ヘタクソなんだけどそこにロックなフェロモンを感じ取った主人公はフォーク調の曲をやめてロックン・ロールを歌い出す...。このへんも俺達とそっくりなんで、他人事とは思えず楽しく読ませてもらった。これは是非とも映画も見なきゃね。臼田あさ美演じるオリーブも楽しみだし。

半藤一利『幕末史』
 嘉永6年(1853)ペリー艦隊来航から明治11年(1878)、山県有朋による軍参謀本部創設と統帥権独立までの政治の流れを語ったものです。半藤氏が統帥権独立までとしたのは、この統帥権の独立こそが軍事優先国家として、後に軍部の暴走を許し大敗戦を導いた元凶だからです。本書は大学内市民講座で講義された話しをもとにまとめられているので、その話し言葉から厚さのわりには楽しめる内容でした。また半藤氏の反薩長史観という立ち位置が俺と同じなので親しみも覚えました。ようするに幕末の暴力革命から太平洋戦争の敗戦までの歴史を薩長史観=皇国史観とし、幕末から明治の始まりについてあまりに薩長の言い分で語られてきた、と指摘しているところが新しく嬉しい。今の日本でも明治の誕生を「維新」として美化する傾向が強い。これは勝者による薩長史観=皇国史観が土台としてあるけど、武士が好きで西国びいきの司馬遼太郎が維新の志士を美化しすぎたことの影響も大きいかなと俺は思っている。

加納朋子『モノレールねこ』
 " モノレールねこ " ってなんだ?と単行本の時から気になっていて、そのうち読もうと思いながら数年経ち、文庫本が本屋の平積み台にあったので即購入。なかなか気の利いた短篇が並んでます。辛いこと挫けそうなこともあるけど、熾火のようなささやかな温かさに気付くことで救われる...こともある。ザリガニで泣かされたという解説の吉田伸子のようには泣けなかったなあ。

半藤一利『昭和史1926-1945』
 昭和の始まりから敗戦までの20年間を戦争と政治に目を据えて語ったもの。この間の戦争による日本人の死者は軍人と市民を合わせて約310万人...。これがこの20年間の結論だと俺は思う。なんとも悲惨であるとともに、「根拠なき自己過信」ゆえに国を滅ぼした戦時指導者達へ限りない憎しみを覚えると共に、マスコミに煽られ戦争賛美へと走った国民的熱狂の恐ろしさに身震いした。

10月*******************************
忌野清志郎『ロックで独立する方法』
 ロックで「成功する」でも「売れる」でも「有名になる」でも「女にモテる」でもなく「独立する」というのがモットーだと清志郎は語る。「音楽業界は80年代にマーケティング的にファンの動向や志向を掴もうと必死になって、まあそれなりに成果を挙げたんだろうけど、そのかわりもっと重要なものを見失ってしまった。....もう自分が歌いたいことを歌うのが一番正しいし、健康にもいいんだよ。それがファンであろうとなかろうと、とにかく声が届いた人だけが受け取ってくれればいい。ファンという謎の塊=マスを満足させられる歌があるとしても、そんなものを考えてるヒマはない。...」と語る清志郎。『雨上がりの夜空に』でいきなり売れっ子になり、その後の狂騒をふり返り、結局「成功する」「売れる」「有名になる」なんてのがロックする目的じゃなくて、ロックする魂の独立だと清志郎は言いたいのだと思った。本書の結びでは「現役のロックンローラーとして天寿を全うできるなら、それはそれで最高なんじゃないか」と語る。憧れた「老衰で死んだロックミュージシャン」にはなれなかったけど、忌野清志郎は現役ロックンローラーとして天寿を全うしたんだよ。

川上弘美『此処彼処』
 わずか4ページのエッセイの中からふわっと物語りが立ち上がる、このへんがじつにお見事で、そのほんわかした手触りに隠された才気にほれぼれする。エッセイでもやはりカワカミさんは名手だと思う。

村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』
 きちんとしたステレオ・セットでフィル・スペクターや大瀧詠一のロンバケを聴いたことがある人はわかると思うけど、左右のスピーカーの前面に立ち現れる四角い音の塊、ぎっしりと詰まった音像空間と圧倒的な音圧。『コインロッカー・ベイビーズ』を開き読み始めた時に感じたのはまさにコレ。四角いスペースにぎっしり詰まった文字の圧倒的量感。行間なんか読ませないぞと押し寄せてくるイメージの洪水。これは小説家が、文字で言葉で読者を圧倒しようとする試みの小説だ。暴力的であると共に詩的でありファンタジーでもある。本書が新刊として登場した当時、俺は村上龍のマッチョぶる押しつけがましさがキライで話題だった本書をパスした憶えがあった。あれから二十数年経ち、予定調和的日常をのほほんと生きながらも、ナニカがタラナイタラナイタラナイ...と無い物ねだりな俺にカツを入れるつもりで(それほどのイキゴミじゃないんだけど...)『コインロッカー・ベイビーズ』を手に取った。そして圧倒された。俺には今はこっちの村上さんの方が身近に思える。

志水辰夫『青に候』
 深く沁み入る清冽な時代小説の実力派志水辰夫なのだが、最初に志水作品を好きになったのはハードボイルド冒険小説だった。『飢えて狼』『裂けて海峡』『背いて故郷』など興奮しながら読みまくったものだ。そんな彼が最初に書いた時代小説がこの『青に候』で、何故か未読だったので読み始めたら、やはりシミタツは面白い。逃走、剣劇、友情、愛情、時代背景などが見事に配置され物語の起伏も豊かに、もうこれは巧いとしか言いようがないのだが、シミタツの一番凄いところは豊かで繊細な感情表現なのだ。所謂シミタツ節。内面のドラマについ感情移入させられてしまう。これも物語読みの醍醐味だ。

山田詠美『無銭優雅』
 「心中する前の日の気持ちで、これからつき合って行かないか?」とか言って、死ぬ気などまったくないのにうっとりしあう42歳の男女(不倫じゃないよ)。子供っぽい会話で始終じゃれあってる、でもなかなかオツな恋愛小説。山田詠美って『風味絶佳』でも感心したがこの『無銭優雅』もじつに巧い。父親が行列のできる店で名物のメンチカツを買って、娘の務める花屋の縁台で一緒に食べるシーンに俺はジ〜ンときたよ。俺も娘を持つ父親だから。様々な登場人物がそれぞれ良いシーンを持っていて、家庭小説としても秀逸です。

浦沢直樹の新作『ビリーバット』
 第1巻に参った。なんと今度は下山事件だよ。戦後の真っ黒い闇の事件からアポロ11号の月面着陸がいったいどう結びつくというのか!?流石絶好調の浦沢直樹、ツカミは完璧。

11月*********************************
北方謙三『楊令伝 十一』
 北宋が金に滅ぼされ南宋が興りつつある時代、西遼を興した耶律大石、南宋の将軍である岳飛と韓世忠と張俊、そして文官の秦檜といった歴史上の実在の人物、これら史実の真っ直中に楊令の国梁山泊がある。史実と物語がどのように絡み合って行くのか、この先の展開が楽しみだ。

平安寿子『さよならの扉』
 夫を亡くした妻(48)が夫の愛人(45)に「友達になりましょ、仲良くしましょ」と言い寄る小説。この妻仁恵の脳天気ぶりがじつに怖いくて、いったいどうゆうオチにもっていくのか気を揉みながら読んだ。ふたりは旅行先のボストンで、櫻の木の下で肩を寄せ合い記念写真を撮る。夫を亡くした妻と父を亡くした愛人はそれぞれ亡き人を思う。ん..だけどなあ..この妻、よくわからん。

ウィリアム・サロイヤン『人間喜劇』
 大好きな作家サローヤン(ここではサロイヤン)の愛すべき作品だ。ボビー・チャールズのあの It's All Small Town Talk〜♪を口ずさみたくなるような物語。架空の町イサカで暮らすマコーレイ家、母は未亡人であり長男は出征中、長女のベスがいて次男ホーマーと末っ子ユリシーズがいる。14歳のホーマーは年齢を偽って(大目に見て貰い)電報配達人として働き貧しい一家を支える気概を持つ。幼児ユリシーズは好奇心旺盛で行動力も旺盛、周囲はハラハラと見守ってる。物語はホーマーとユリシーズを中心に周りの人達との関わりを小さなエピソードを繋ぎ合わせて、小さな町に暮らす人々の暮らしぶりを伝える。明るいホームドラマではないけど、見上げた先の空の雲間から陽が差し始めるような、そんなほのかな温かさがある。原題は『The Human Comedy』だ。これがヒューマン・コメディーだって?... なんてたくましい物語なんだ!。

佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』
 刺激的なタイトルに釣られて読んでみた。まあアメリカ的な自由主義・民主主義を一方的に受け入れてきた日本っていかがなものか?という論旨だな。保守vs革新を政治的にしか感じてこなかったけど、思想的というか心の持ち方で考えると、本書で引用されているイギリスの思想家オークショットの言う「保守的であるとは、見知らぬものより慣れ親しんだものを好むことであり、試みられたことのないものよりも試みられたものを、神秘よりも事実を、可能なものよりも現実のものを、無制限のものより限度あるものを、遠いものよりも近くにあるものを、あり余るものよりも足りるだけのものを、完璧なものよりも重宝なものを、理想郷における至福よりも現在の笑いを、好むことである」という保守主義的心持ちには肯けるものも多い。

船戸与一『風の払暁〜満州国演義1』
 重量感溢れるシリーズ物に手を出してしまった。日本人を外地に放り込んでの活劇物で多くの名作をものにした船戸だから、昭和初期の謀略渦巻く満州は舞台としてはうってつけ、しかし全何巻になるのか心配(笑)。昭和3年、高名な建築家を父に持つ4人の兄弟がいる。長男太郎は満州の奉天総領事館参事官、東京帝大法学部卒業のエリート官僚だ。次男次郎は満州で緑林馬賊の首領となっている。三男三郎は陸軍士官学校を出て関東軍将校に、そして末っ子四男四郎は早稲田の学生で左翼系劇団に属している。この4兄弟にべったり絡むのが謎の怪人間垣徳三、関東軍特務機関の悪い奴だ。ワル役の出来の善し悪しが、活劇物の深みや闇の濃さを決定づける要素だと思っているので、この間垣の底知れない悪ぶりはなかなかいい。絶対に関わり合いになりたくない奴だけど、昭和初期の満州には、こんな輩が跳梁跋扈していたらしい。では第二巻へ向かいます。

船戸与一『事変の夜〜満州国演義2』
 第二巻は満州事変から満州国建国前夜まで。作者はあとがきで、「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。...小説のダイナミズムを求めるために歴史的事実を無視したり歪めたりしたことは避けてきたつもりである。」と述べていまる。北方謙三の『楊令伝』もそうだが、歴史的事実と物語的躍動感をどのように折り合わせ発展させるかは小説家の腕にかかっているわけで、その点北方も船戸も流石の剛腕ぶりを発揮している。『事変の夜』、軍も国民も熱狂して戦争へとひた走る、これを今見てきたかのように小説として描く、その臨場感が凄い、そしてそのマス・ヒステリアというものの怖さに身震いする。

12月*********************************
奥田英朗『無理』
 あの『最悪』『邪魔』の路線が復活ですね。転がり落ちる惨憺たる人生滑落小説(?)。まるで他人の不幸を見てきたように書いてる立場にユーモアが漂ってるから、ついついこっちも他人の不幸は密の味式にもっともっと知りたいと...読んでる自分がイケナイ人に思えてくるような...。福祉行政、派遣労働、援助交際、市民運動、新興宗教、格差社会...そういったモロモロを、冴えない地方都市とそこに生きる市民に思い切りぶつけた現在形あるある小説。けっこう身につまされる(笑)。

向田邦子『思い出トランプ』
 やまだ紫の訃報を知ったからか、ふと本棚にあった向田邦子の本に手が伸びた。さりげない日常に潜む鋭い闇を見事に描くことにかけて、やまだ紫と向田邦子は名人であったと思う。ドラマ名人であった向田さんの短篇には、名人ならではの情景描写と心理描写そして人物の造形で、短篇ながらそれを感じさせない堂々としたドラマとなっていて、読み終わる度にふっとため息がでる。文庫本のあとがきでは水上勉が「みごとな人生画帖」と讃えていた。

小路幸也『brother sun 早坂家のこと』
 さすが『東京バンドワゴン』の小路幸也、おもしろホームドラマの達人だ。幼い頃に母を亡くした三姉妹がいる。男手一つで三姉妹を育てあげた父親は長女が大学を出て仕事を始めた頃に再婚する。近所で別々に暮らす三姉妹と父親の一家の関係はすこぶり良好だ。ハッピーなホームドラマ。そこへ20年も音信不通だった父の兄が現れる。謎が謎を呼ぶ。さあそこからがちょっとした三姉妹探偵モノだ。結局、みんないいひと過ぎてズルイよって言いたくなるくらい、でもこれがハッピー・ホームドラマの王道だから。ああ楽しかった!

北沢秋『哄う合戦屋』
 和田竜の戦国モノのような痛快時代活劇を期待して読んだらちょっとハズレた。戦国時代の小豪族が割拠する中信濃を舞台とした面白い話しなんだけど、剣を振るえば無双の豪傑でありまた天才的な戦略家である主人公石堂一徹の孤独がツライんだなあ。

土門拳『腕白小僧がいた』
 1935年から1960年の間に撮影された写真と文により構成された写真集。写真集はけっこう好きで(ヌードじゃないぞ)年に1、2冊くらい買ってしまうんだけど、そもそも値段が高いのがツライとこ。だけどこの本は文庫本なので気楽に手元に置いて眺めていられるから嬉しかった。タイトルどおり子供達を写したものだ。懐かしさがこみ上げてくる。ああこんなカッコしたやつ、こんな笑い方するやつ、いたいたこんなやつ。とにかく子供が路上で空き地で群れていたあの頃。そして閉鎖された炭坑の子供達。その貧しさとそう遠くない所に当時山間僻地だった津南のつつましい生活もあったように思う。それでも子供達は元気に群れて遊んでいた。♪ぼろは着てても 心は錦〜ってなもんだった。こんな子供達、今は日本中探してもどこにもいない。『忘れられた日本人』ならぬ" 忘れられた子供達"。忘れてはならないもの、捨ててはならないものなのに、無くしたことに気付かない。この写真集はそうしたことを私達に気付かせてくれた。

青山七恵『かけら』
 井上ひさしが賞賛するようなキラリと光る感性ってものを俺は感じ取ることができず、どうも不完全燃焼。収められた三編の小説とも、えっこれでおわり?と、なにか物足りなかった。

山田詠美『学問』
 おそらく今年100冊目の読了本。小二で出会った男女4人が友情を培いながら成長していく物語、かと思わせながら、じつは奇抜な自慰小説だったりでびっくり。いやはや山田詠美は面白い。「生身の男は使いものにならないな...」と高校生になった仁美に語らせ、「私ねえ、欲望に忠実なの。愛弟子といってもいいね」とも言わせてる。でもぜんぜんいやらしさがない小説です。清々しさを憶えるのはテンちゃんの存在が大きい。きっとテンちゃんのようなタイプが理想の初恋の男子なんだろうね、女子にとって。各章のあたまに4人の主人公(+ひとり)の人生の終着点が記してあり、終章くらいまでそれに戸惑ったけど、読み終えてもう一度その部分を読み返し、じ〜んと感動してしまった。山田詠美の思うつぼか(笑)。しかも『学問』だからね。参りました。装本も素敵!

柳広司『ダブル・ジョーカー』
 もちろん『ジョーカー・ゲーム』の続編で、形式も同じ連作短篇なので、一作毎に趣向が凝らしてあって楽しめる。特に表題作「ダブル・ジョーカー」、戦時下帝国陸軍の結城中佐率いる秘密諜報組織"D機関"(これが小説の主人公ね)に対する、同じ陸軍内から差し向けられた刺客"風機関"。陸軍大学校出身エリートで構成された風機関を手玉に取るアンチ軍人組織D機関の働きが痛快だった。
 

 ふりかえって2009...

 思案中....

 

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