●2007●

 9月30日 曇り/雨 体調・ふつう

 瀬尾まいこ『卵の緒』読了。食卓を幸せの磁場として、それを囲む人達を温かく描く食卓小説は瀬尾まいこの得意技だと思っていて、その食卓描写が大好きな私である。このデビュー作はすでに食卓小説だったんですね。とても良いお話しでした。「食欲のある男の子は三割はハンサムに見えるのよ」というお母さんが気に入った。
RY COODER『JAZZ』
 その昔、高名なジャズ評論家油井正一が " ジャズはラテン・アメリカの音楽の一種である " と狼煙を上げたけど、まったくピンと来なかった。この『ジャズ』を聴いた'78年当時も、これってジャズ?とピンと来なかった。その後古い黒人音楽や白人音楽やカリブの音楽を親しむ中で、ようやくこのことが見えて来た気がしています。スウイング以前のまだジャズと呼ばれる前のラグタイムなどのシンコペイテッド・ミュージックではストリング・バンドという形態も人気があったわけで、ジャズ=管楽器でもなかったわけですね。このアルバムで取り上げられているジェリー・ロール・モートンですが、彼はアーリー・ジャズの巨人なんだけど、'30年代にはすでに古臭いと言われモダン・ジャズ以降は忘れられ聴かれなくなった人です。モートンのジャズがどうゆうものかと言えばクレオール的ニューオリンズ・ミュージックなんですね。アフリカにフランス、スペイン、カリブなどが混ざってる。上品というか優雅なんですね。モートンの曲をライはストリング・バンドとしてやっているんだけど、これがもう絶品。3曲登場する小粋なビックス・バイダーベックもまた忘れられてるジャズですね。バイダーベックの甘くミステリアスな曲調も、バップの荒波の中で忘れられていたジャズだったようです。後年、ライはこのアルバムは失敗作だったと語ったとか。けど俺にはじゅうぶん刺激的で楽しいジャズ・アルバムなんですよね。


 9月29日 晴れ 体調・ふつう

 祝!『20世紀少年〜21世紀少年』完結。〜 読者のみなさんと駆け抜けた 科学で冒険の日々は 永遠に....浦沢直樹。子供の頃、森の中に秘密基地を作ったり○○団とかの秘密結社(笑)を作って遊んでいた、もちろんロボットの操縦にも憧れた俺達20世紀少年を勝手に代表して浦沢直樹氏にお礼を申し上げまする。さよならケンジ達。ほんと俺達ってランニングに半ズボンだったよなあ。
T.REX『20th CENTURY BOY』
 祝『20世紀少年〜21世紀少年』完結!なのでこの「20世紀少年付録CD」を聴きながら完結篇を読みました。この超シンプルで超ぶあついリフを俺は無謀にもガット・ギターで弾いていい気になっていた1973年。あの頃聴いてた曲ってよく憶えているんだよね。最近の曲は聴いてもすぐに忘れるちゃうのに。


 9月28日 晴れ 体調・ふつう

 西山太吉『沖縄密約』読了。'72年沖縄返還協定において米国が日本に自発的に支払うと記された400万ドルが、じつは日本が肩代わりするという密約が交わされていたという、これが沖縄密約。じつはもっと多くの密約があったのだが。この密約に深く関わったのが当時の首相佐藤栄作と党幹事長福田赳夫。まあね、いやな話しばっかで読むんだら気が滅入ったけど、こうした密約を生む土壌は日本の上位下達の政治風土にあると書いた作者と同じことを俺も思っている。今でも日本国民の血税がアメリカの戦争のために使われていると思うと、政治とか政治家とかは必要悪なんだと諦めるしかないのかな。
RY COODER『SHOW TIME』
 再びライ・クーダー登場。'77年リリースのライブ盤です。前作『CHICKEN SKIN MUSIC』参加のメンバーからフラコ・ヒメネスのテックス・メックス・コンフント(バンド)とテリー・エヴァンス、ボビー・キング、エルドリッジ・キングからなる黒人コーラス・トリオを率いてのライブで、バンド名はチキン・スキン・レヴュー。会場はサンフランシスコのグレート・アメリカン・ミュージック・ホール。ライの一座にぴったりのホールだね。ヒメネスがスペイン語で歌うメキシコ歌謡で会場が大盛り上がりなのは土地柄ですね。バックがテックス・メックス・バンドなので演奏は大らかで、 ライのスタジオ盤にあったようなリズムやサウンドの面白さは望めないけど、ここではなにより楽しさを感じられたらそれでいいんです。


 9月26-27日 晴れ 体調・ふつう

 秋晴れです。弟が帰郷していて今朝名古屋へ帰りました。娘は親善陸上大会で十日町です。今頃100Mを走り終えた頃でしょう。
やまがたすみこ『SUMIKO LIVE』
 なぜに突然今頃やまがたすみこ?じつはやまがたすみこ、名前しか知らなかった。彼女が活躍していた頃、同じ歳で顔も声もキレイな女の子として名前は知っていたし、このライブ・アルバムを友達が持っていたのも知っていました。ファンでもないのにこのアルバムをよく憶えていたのは何故かと言えば、構成演出:大瀧詠一、演奏:鈴木慶一とムーンダイダースだったからですね。'76年二十歳のバースデイ・コンサートだったんですね。初めて聴いたけど、爽やかです。鈴木慶一も爽やかです(笑)。彼女はシンガー・ソングライターで、こうして聴いてみると良い曲がたくさんあります。レコード・コレクターズ誌最新号に彼女のインタビューがありまして、彼女は現在CMの世界で活躍とのこと。CMソングの他にサウンド・ロゴってのがあるんですね。「♪ 味の素」とか「♪ ひ・さ・み・つ」ってアレですね。あの声はやまがたさんだそうです。ちなみに旦那さんは井上鑑。


 9月24-25日 晴れ/雨/曇り 体調・ふつう

 カミさんのところへ高校同級会の案内状が届きました。それを読んだうちの娘、「同級会!?..不倫のチャンスだねえ...そして殺人事件が...なんてね」。まったくつまらんミステリイ・ドラマの見過ぎだね(笑)。
RY COODER『CHICKEN SKIN MUSIC』
 チキン・スキン・ミュージック=鳥肌モノの音楽なのか?ライナーによると、鳥肌は英語ではgoosebumpsなんだそうですが、ハワイでは日本語の影響で鳥肌=chicken skinと言うそうです。本作のスペシャル・ゲストはハワイアン・スラック・キー・ギターの巨人ギャッビー・パヒヌイと同じく名手アッタ・アイザックス。録音もハワイとくれば、チキン・スキン=鳥肌説(笑)が有力ですね。ライとギャッビーとアッタがギターでセッションしていて、おもわず凄いプレイが飛び出した時に「チキン・スキン・ミュージック!」と誰かが叫んだのかもね。もうひとりのスペシャル・ゲストでこの後ライの良き仲間として多くのアルバムに登場することになるテックス・メックス蛇腹男フラコ・ヒメネスも忘れちゃいけないよね。そのアコーディオンの音色を聴いただけで荒野にサボテンが思い浮かびます(イメージ貧困だわねえw)。フラーコのアコってたんに巧いだけでなく風情が感じられて凄く好き。これは'76年のアルバムで俺はシブイ新成人だったわけだ(笑)。


 9月22-23日 晴れ/曇り 体調・ふつう

 昨日今日とムラの秋祭り。うちは父が1月に亡くなったばかりなので祭りは遠慮させてもらっています。家の前を通り過ぎていく祭り神輿をただ見送るってのも寂しいものです。
RY COODER『Paradise and Lunch』
 ライ・クーダー紙ジャケ・リマスター・シリーズが続きます。'74年の名盤『パラダイス・アンド・ランチ』。も〜大好きなんだよ〜。シブめだった前作に比べ、ずいぶんポップな仕上がりです。まろやかにハネるリズムにドゥワップ風コーラスがごきげんです。ピアノ&オルガンはニューオリンズの凄腕ロニー・バロン。鍵盤を快調に転がしてますよ。鍵盤を転がすと言えば、本盤のスペシャル・ゲスト、アール・ハインズ。ジャズ・ピアノの父とも呼ばれる巨匠とライがまるでお喋りのように音を交わすラスト曲は聴きモノですよ。そして俺がここで一番好きな曲がメキシカン〜マリアッチ〜テックス・メックス風の「おしゃべり屋」と「恋するメキシカン」。とくに「おしゃべり屋」はストリングスがマリアッチ風のアレンジと溶け合って、とてもポップでドリーミーで、以前のアルバムには無かったタイプの曲。古いゴスペルをこんなにも素敵な曲に生まれ変わらせたライの手腕は流石です。


 9月20-21日 晴れ 体調・ふつう、草かぶれ

 柴田哲孝『下山事件 最後の証言』読了。下山事件というのは、まだGHQ占領下であった昭和24年7月5日、初代国鉄総裁下山定則が日本橋三越南口で消息を絶ち、翌6日未明国鉄常磐線北千住駅と綾瀬駅の中間地点線路上に礫死体となって発見された事件。自殺他殺が明らかにされぬまま捜査打ち切り迷宮入りとなった謎の事件でした。ノンフィクションですが良くできた犯罪謀略小説のように面白かったし興味深かった。GHQ(米国)→右翼→自民党という影響力行使の流れって黒い霧のように知らされていたことなんだけど、ここまで具体的だと改めてびっくりする。「日本金銀運営会」とかね。戦時中に国民に供出させた金銀宝石を、戦中戦後と面白いように使い利用した男達がいたそうだ。吉田・岸内閣の政治資金となったりと。何処に真実があるかは判らないけど(悪の)バイタリティは存分に感じました。それにしても残暑きびしすぎ!
RY COODER『BOOMER'S STORY』
 ライ・クーダー、最初に買ったアルバムは『紫の峡谷』だったけど、最初に聴いた曲はこのアルバム収録の「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」。ダン・ペン作でジェイムス・カーの名唱で知られるサザン・ソウルの名曲だけど、最初に聴いたのはやはりこのライのインスト・ヴァージョンでした。スライド・ギターによるインストは新鮮でしたね。人間的な深みや温かみを感じさせるそのスライド・ギターはその後映画『パリ・テキサス』で大ブレイク、ライに一般的な知名度と生活の安定を与えてくれました。このサード・アルバム邦題『流れ者の物語』までの初期3作品で、ライはアメリカン・ルーツ・ミュージック、特に'30年代頃の不況時代の歌を見事に甦らせました。スライドと共にライのマンドリンも大活躍で、俺のマンドリン好きはきっとライの影響ですね。


 9月16-17日 晴れ/曇り/晴れ/曇り 体調・ふつう、草かぶれ

 両腕がみっともないことになってます。半袖Tシャツで草と格闘したせいで腕が草に負けました。カブレたというかなんでしょう?止せばいいのに痒いとこを掻いてしまうのでなかなか治りません。野良仕事は長袖長ズボンですね(反省)。それにしてもイヤ〜な暑さが続きます。一雨降ればいいのにね。
RY COODER『INTO THE PURPLE VALLEY』
 調べてみたら(LP盤時代には買った音盤を台帳に記していました)このライ・クーダーのセカンドを買ったのは'74年でした。ライ・クーダー程お世話になった人はいません。ライを聴いたから細野晴臣を楽しめたし、ワールドミュージックがブームになる以前からロック以外の音楽を聴く楽しみを知りました。ここでライが取り上げているのはニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ、ドリフターズ、アッテイラ・ザ・フン、ワシントン・フィリップス、レッドベリー、ジョニー・キャッシュ、ジョセフ・スペンス、ウディ・ガスリー他トラディショナルとオールデイズ。この頃はまだアメリカン・ルーツ・ミュージックに熱心に取り組んだライさんでした。このアルバムからドラムがジム・ケルトナーです。ライ独特のシンコペイトを持つリズム・ギターと相性ばっちりで、巧さと渋さと爽快さを併せ持つジムのドラムは最高です。そしてもうひとりの重要人物がジム・ディッキンソン。ここでプロデュースとピアノを担当する彼はメンフィスのミュージシャンでサザン・ソウル・シーンでは知る人ぞ知る存在でした。根っからのプレイヤーである彼とライの相性もぴったりですね。ちなみにノース・ミシシッピ・オールスターズのルーサー&コーディ・ディッキンソン兄弟はジムの息子達です。蒸し暑い店内ですが、ライのスライド・ギターとマンドリンは爽快に鳴ってますよ。


 9月14-15日 晴れ 体調・ふつう

 雑誌Coyote掲載のポール・オースター『ガラスの街』(柴田元幸訳)読了。じつはこの『シティ・オブ・グラス』、以前文庫本で読んでました。訳者は違います。内容はまったく憶えていません。きっとその時は面白くなかったんですね。オースターはこっれきりでした。今思うにあの頃『シティ・オブ・グラス』は本好きの間でちょっと話題となっていました。そして俺はある紹介文からこれを探偵小説だと思い買って読んだわけです。勘違い(笑)。たしか10年以上前だったはずです。そして改めて読もうと思ったのは訳者が柴田元幸だし、掲載されていた雑誌の感じが良かったせいですね。さて読み終わって、なにか気になる読後感(笑)。物語の幕が閉じられていないせいかな。気になったので何カ所か読み直してみたりして。物語の初めのとこにこうあります「問題は物語それ自体であり、物語に何か意味があるかどうかは、物語の語るべきところではない。」と。
Lou Reed『The Definitive Collection』
 ポール・オースター『ガラスの街』はニューヨークの物語だ。アーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』をフィフス・アヴェニュー・バンドを聴きながら読んだのは20代の頃だった。さて『ガラスの街』の音楽だったら誰が良いかなと考えたふりをして、もうルー・リードに決まっていたんだ。ルー・リードは " 街の詩人 " 、それもニューヨーク限定の。'42年ブルックリン生まれの生粋のロックンローラー。オースターが、この街の先輩に影響を受けないわけがない、と勝手に思い込む。クールでぶっきらぼうなフリをしても優しさがにじみ出る。N.Y.ワイルド・サイドの男ルー・リード。


 9月12-13日 晴れ 体調・ふつう

 えっ???って感じで昨日急に辞めちゃった安倍総理。内閣改造で安倍・麻生コンビを見たときにはまさに格差社会の象徴だと感じたものだった。岸と吉田の孫だものね。日本の選挙では昔からジバン・カンバン・カバンが欠かせないと言われてきた。そしてそれが日本の政治と政治家をダメにした。政治を家業とする2世3世議員が増えすぎた。彼等の多くは地方に選挙区を持ちながらも生まれ育ちは東京だ。日本の政治から金と世襲がなくなれば良い。
高田渡『系図』
 けっきょく俺にとって高田渡は『ごあいさつ』とこの『系図』なんだけど、晩年の渡さんもこの初期2枚のまんまだった気がする。それは悪いことじゃなくて、この2枚の確固とした歌世界は今でも日本の音楽の中に屹立しているわけで、渡さんが変わる必要はなかったんだよね。民草のひとりとして民草の生活の柄を歌っていたからずっと正直でいられた歌手が渡さんだった。いとうたかお作の「あしたはきっと」は渡さんの好きな歌で、春一番などでよく歌っていた。このなにげない歌をみんなで、バンジョーやマンドリンやハーモニカなど交えてみんなで歌うのが好きだったのも渡さんだった。この人懐こさが日本人の中からだんだんと消えていくような気がして寂しい。


 9月11日 晴れ 体調・ふつう

 ローレンス・ブロック『快盗タナーは眠らない』読了。ドタバタ冒険ミステリイ小説でした。有名なシリーズ、酔いどれ探偵マット・スカダー物に比べたら軽いノリです。スカダー・シリーズが始まる10年前の'66年に書かれたのがこの作品。トルコ〜アイルランド〜スペイン〜フランス〜イタリア〜旧ユーゴ〜ブルガリア〜トルコ〜レバノンと非合法な出入国を繰り返し、本人は隠された金貨めあてのトレジャー・ハンターのつもりが、いつのまにやら国際的な秘密工作員と勘違いされてしまい...、てなお話しでした。
V.A.『THE BULUES STANDARDS』
 ブルース&ソウル・レコーズ誌のおまけCDです。「エヴリ・デイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルース」「スウィート・ホーム・シカゴ」などのブルース・スタンダードをアール・キング、B.B.キング、ホームシック・ジェイムス、エルモア・ジェイムス、ロバート・jr・ロックウッドなどが歌っています。目新しさはないけど、気軽に聴きたい時にはこれで良いんです。" 口べたでも発する一言が重い、そんなギターを弾いてみせる " と解説付きのテキサス・ブルースの巨人ローウェル・フルスンの貫禄がB.B.キングを圧倒...って程でもないけど、フルスンは最高ですね。


 9月9日 晴れ/曇り 体調・ふつう

 昨日は半日二日酔い。今日は半日ムラの道普請だった。本好きな友達が教えてくれた雑誌『COYOTE』が届いた。お目当ては柴田元幸訳のポール・オースター「シティ・オブ・グラス」。楽しみがまたふえた。
浜田真理子『romance』
 カバー・アルバムが売れているんだとさ。誰もが知ってるちょっと前のヒット曲ばかり集めたカバー集なんてヒキョウじゃないかと思う。そこへいくと我等が真理子さんのカバー・センスはもの凄い。あまり知られていないまた忘れられている名曲を浜田流の名曲として甦らせて聴かせてくれる。中島みゆきのカバー・アルバムに参加して歌った「世情」には魂が揺さぶられた(ちょっとおおげさに)。彼女はライブでたくさんカバー曲を歌っていて、その中には英語の曲と日本の曲をメドレーで歌うという技も披露してくれる。「Just when I needed you most〜離別(イビヨル)」「Johnny guitar〜粋な別れ」「For sentimental reasons〜逢いたくて逢いたくて」などが印象にのこっているし、このライブ・アルバムには「逢わずに愛して〜Do right woman - Do right man」「湖畔の宿〜Cry me a river」と、しっとりソウルフルなメドレーが聴ける。そして彼女のカバー曲で特に好きなのがハンク・ウイリアムスの「I'm so lonesome I could cry」とアマリア・ロドリゲスの曲をちあきなおみが歌い、それを真理子さんが歌った「霧笛」、そして「世情」。丁寧に磨き込まれた珠玉の歌とはこうゆうものだ。今流れている「場末哀歌」のようなくつろいだ感じの曲もまたいいね。    


 9月7日 雨/曇り 体調・ふつう

 憂いを秘めてほのかに甘く...と前日書いた。この言葉は俺のお気に入りで、その昔読んだアーウィン・ショーの短編集『夏服を着た女たち』に収められた1篇のタイトル。じゃあ久しぶりにそれを読んでみようと本棚から取りだして目次を読んでたら、あれれ?「愁いを含んで ほのかに甘く」が正しいことに気づいた。ひとりで気恥ずかしくなった。
浜田真理子『夜も昼も』
 ずっとmariko mariko mariko mariko と、浜田真理子はやはり『mariko』が一番だと言い続けていたんだけど、どうもこの頃はこの『夜も昼も』が一番身近で親しみが湧いている。大人の恋の歌ですね。まっすぐな恋、わけありな恋と、大人の恋は複雑怪奇(笑)。そんな大人の恋心を丁寧に磨かれた言葉で上品に静かに歌います。本作は今まで以上に言葉に耳がいきます。シンプルな言葉が生き生きと喜んでいるようで、日本語の豊かな情感に気づきます。
「僕がもっと大人になったら、今夜のハマダさんみたいなライブができるんだろうけどね」と、あがた森魚氏に言わしめた浜田真理子さんの大人の恋歌。

   なんのこともない あなたのことば
   なんのこともなく こころがわらう
    こんなふつうのこと わたしの のぞみ (恋ごころ)

   爪を立てても 痛いだなんて 言わないで
   わたしの ココロは もっともっと痛い
    鏡にうつる わたしの爪は 色くれないの
    おどって ゆれて あなたの 背中で散る花びら (爪紅のワルツ)

   五十センチだけ 離れて あなたとわたし
   同じ道を 歩いてゆきましょう
   重すぎる荷物を かかえて
   たがいの瞳を のぞきこめなくても
   ただ ならんで まっすぐ 前をみて (旅路)

   スプーンを ふたつ 重ねたみたいに
   あなたに抱かれて眠りたい
   胸の鼓動を 背中に感じたら
   なんにも おそれはしない (スプーン)


 9月5-6日 曇り/晴れ/曇り 体調・ふつう

 スコット・フィッツジェラルド/村上春樹訳『グレート・ギャッツビー』読了。憂いを秘めてほのかに甘く...流麗な文章を存分に堪能。この前読んだ村上訳のチャンドラー『ロング・グッドバイ』みたいな新鮮な驚きは無かったけど、フィッツジェラルドと村上の親和性を強く感じた。第1章でニックが初めてギャッツビーを目にした場面「 彼ははっとさせられるようなしぐさで、両手を暗い海に向けて差し出した。...彼の身体が小刻みに震えていることがはっきりと見て取れた。僕は思わず、伸ばされた腕の先にある海上に目をやった。そこには緑の灯火がひとつ見えるきりだった」とあり、 そして最終章の終わりに「ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう」 。緑の灯火とは "むくわれない愛 " 。ギャッツビーの呼びかける時の口癖「.....オールド・スポート」に哀しみを憶える。
The Nels Cline Singers『Draw Breath』
 " じゃずじゃ " マーク・ラパポート曰く「米西海岸アングラ・ジャズ界の雄」ネルズ・クラインです。" じゃずじゃ "でその存在を知り、CD買うようになって3枚目がこの新作。過去2枚はアヴァン・ジャズ・ギター・ファンの俺にとってツボにビシビシ決まる傑作でしたが、さて本盤はどうかな。そうそうネルズ・クラインは'04年からあのウィルコのメンバーでもあるのですよ。そのウィルコの新作もネルズ効果バッチリで凄く良いアメリカン・ロック・アルバムでしたね。さてメンバーですがネルズ(g)、デヴィン・ホフ(b)、スコット・アメンドーラ(ds)というトリオ編成。1曲ウィルコのドラマー、グレン・コッチェがパーカッションで参加しています。ネルズって人は写真で見ると長身で顔はニヒルで日本の野武士か素浪人のような(笑)感じに好感が持てるのですが、そのプレイも骨太でワイルドで切れ味鋭くテクもある、ただそれらが皆少しだけ過剰なためポピュラーな人気に結びつかない、そんなギタリストのようです。ジャズ、ロック、エレクトロニカなどの要素が混ざり構成された音楽はなかなかスリリング。只今俺の中の3大ギタリストと言えば、マーク・リボー、ブランドン・ロスそしてネルズ・クラインです。


 9月3-4日 曇り/晴れ 体調・ふつう

 友部さんの音楽エッセイ集『ジュークボックスに住む詩人2』が届いたのでパラパラと拾い読み。ふちがみとふなとのトコで、「..ミュージシャンは暇なとき、散歩と旅行をしていればそれでいいような気もする。目で見る景色は音だから。」と書いています。散歩と旅行が好きなのは、ふちふなさんも友部さんも一緒ですね。
フリッパーズ・ギター
 『カメラ・トーク』『ヘッド博士の世界塔』
 渋谷系コンピュレ盤で久しぶりに聴いた「恋とマシンガン」、ギター・ポップでネオ・アコ・スイングでシンガーズ・スリーでやはりとっても素敵だった。ので、久しぶりに彼等フリッパーズ・ギターのアルバムを2枚引っぱり出して聴いてます。'90年の『カメラ・トーク』と次作'91年の『ヘッド博士..』なんだけど、作風がガラっと変わってるね。カメラは良く聴いたけどヘッド博士はあまり聴かなかったと思うな。そもそもこの頃ってロックから遠ざかっていた時期で、ワールド・ミュージックとかアヴァン・ジャズとか篠田昌巳とコンポステラとか、とにかくロックの新譜に興味が薄かった頃。「恋とマシンガン」は流行ってたんだよね。偶然聴いて、うわっかっこいい!って一発で気に入った。今2枚まとめて聴いてるけど、俺には「恋とマシンガン」だけで充分だった。そうそう小山田/小沢コンビ、利口そうで美少年顔のこのふたり、『二十世紀少年』のフクベエとヤマネくんの子供の頃に感じが似てる(笑)。けしてケンジじゃないよね。


 9月1-2日 曇り/晴れ 体調・ふつう

 宮部みゆき『楽園 上下巻』。『模倣犯』の前畑滋子が再び登場。宮部みゆきは大好きな作家ですが『模倣犯』は好きになれなかった。あの救いの無さが辛かったのを思い出す。比べて『楽園』に救いはあったかなかったか?救いはどこにあるのかを読みながら考え続けた。そして最後の場面のあの再会は温かかった。
オリジナル・ラヴ、フリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイヴ...etc
   『bossa nova 1991-shibuya scene retrospective』
 小西康陽選曲による " 渋谷系 " コンピュレ盤である。1991年、俺35歳。渋谷系に冷ややかだった理由はこの35歳にある。青年でも中年でもなく、まして独り者だったから気はやたら若かった。10〜15歳ほど年下の渋谷系は俺のライヴァルの範囲内だった。20歳年下だとあきらめがつくけどね(笑)。俺が十代の頃から師と仰いだ人達、無国籍音楽の細野晴臣と趣味趣味音楽の大瀧詠一の両巨匠、そして2度見たライブでその颯爽としたかっこいいサウンドで俺をノックアウトしたシュガー・ベイヴ。ロックはテクニックじゃなくてセンスだよと教えてくれたムーンライダーズ。そんなアニキ達の音楽はなによりセンスが良かった。そして渋谷系もなによりも音楽はセンスだ!の若者達だったと思う。だから今振り返ってみると俺は彼等が悔しかったんだと思う。ここに収録のフリッパーズ・ギターの「恋とマシンガン」なんて悔しさを忘れてその才能がやたら眩しかったのを思い出す。ちぇっかっこいいじゃん、とかスネていたわけだ(笑)。オリジナル・ラヴもピチカート・ファイヴもじつは好きだったし。逆にサニーデイ・サービス=曽我部恵一は未だに良さが判らない。選曲者の小西はサニーデイの「baby blue」を" 日本のロックはここまで成熟したのだという最良の一例" とか書いてるけど、俺にはチンプンカンプンだ。彼等のアルバム『若者たち』にはなにひとつ新しさが感じられず一度聴いただけで棚に収まっている。まあ渋谷系といっても一括りにできない多様さはあるわけで、こうしてコンピュレーション盤として聴けるのはなかなか楽しいことだ。


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