●2009●

 10月28-29日 晴れ  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 紅葉に誘われてというか請け負っているHPの写真更新のため清津峡へ行って来た。平日なのに駐車場満杯なのにびっくり。観光地だから賑わうのは良いことだけど、人混みにいると気が落ち着かずどうも苦手だ。
 浦沢直樹の新作『ビリーバット』第1巻に参った。なんと今度は下山事件だよ。戦後の真っ黒い闇の事件からアポロ11号の月面着陸がいったいどう結びつくというのか!?流石絶好調の浦沢直樹、ツカミは完璧。
板橋文夫『お月さま』
 これもオフノート・レーベルの再発盤で梅津和時の『沖縄浮浪』と同じ沖縄紀行もの。ソロ・ピアノの他、大工哲弘の歌や三弦、保育所児童の合唱などが共演。旅情から奏でられるリリカルなピアノが印象的。沖縄の詩人である山之口貘の詩に高田渡が曲を付け歌った「生活の柄」を、ここでは大工哲弘が歌い三弦を弾いている。聴き慣れたこの歌が、沖縄で三弦と共に歌われるのを聴いていると、歌が故郷に帰って来たんだなと思えた。


 10月27日 雨/曇り  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 山田詠美『無銭優雅』読了。「心中する前の日の気持ちで、これからつき合って行かないか?」とか言って、死ぬ気などまったくないのにうっとりしあう42歳の男女(不倫じゃないよ)。子供っぽい会話で始終じゃれあってる、でもなかなかオツな恋愛小説。山田詠美って『風味絶佳』でも感心したがこの『無銭優雅』もじつに巧い。父親が行列のできる店で名物のメンチカツを買って、娘の務める花屋の縁台で一緒に食べるシーンに俺はジ〜ンときたよ。俺も娘を持つ父親だから。様々な登場人物がそれぞれ良いシーンを持っていて、家庭小説としても秀逸です。
梅津和時『沖縄浮浪』
 レーベルを主宰する神谷一義が梅津和時の『FIRST DESERTER 最初の脱走兵』に寄せた「諧謔と叙情のパスポート〜音楽による世紀末の無銭旅行」という表現は、このオフノート・レーベルの志向でもあると思えるし、ゆえに商業主義に囚われないこうした音楽制作では当然ながら商品も売れなくて経営も苦しいようだ。真に芸術のまた音楽の前衛であろうとすれば、このような苦境も当然と思われ、こうした状況はとても残念だ。神谷さんの果敢な創作意欲のおかげでたくさんの素晴らしい音楽に出会えた俺としては、こうした優れたレーベルが消えてしまうのはとても痛手なのだ。アヴァン・ポップで且つ売れる音楽があればいいのだが...。もしくはオクノ修のようなホンモノの歌うたいが売れてくれたらいいのにな。


 10月26日 雨  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 24-25日はムラの仲間達と車に乗って行楽。先ず松本まで南下、松本城にいたく感心し馬刺と馬肉チャーシューと生ビールで昼食。松本から塩の道を北上し長野と新潟の県境にある姫川温泉で一泊。宴会では辻元清美似と奥菜恵似のコンパニオンと楽しい一時を過ごす(詳しくは書けない...)。翌朝ホテルを出発して姫川の翡翠渓へ。断崖絶壁をロッククライミングする人達を眺めこっちが立ち眩み。糸魚川を経て能生で昼食もちろんマグロとカニとタラ汁。一緒の友が知り合いのカニ屋さんへ案内し、全員で 大量のカニを買う。帰ってきて「じょんの喜」でハバキぬぎ。こんな二日間で胃がぐったりだぜ(笑)。今日から真面目に生きようと誓う。
梅津和時『沖縄浮浪』
 これもオフノート・レーベルの再発盤。梅津和時が'96年沖縄でフィールド・レコーディングしたソロ作品。公設市場のアーケード前、市場2階の食堂の前、人気のない淋しい公園、壺屋の釜の跡、海岸で、岩場で、さとうきび畑で、コザの民謡酒場で、嘉手納基地前の路上で、火事で廃墟になったパチンコ屋の中で、浜辺の茶屋で、那覇のライブハウスで、そんな場所で、さっとクラリネットやらサックスやら取り出し、ソロのフリー・インプロビゼーションをやらかす。時に強烈な場違いな違和感の中吹きまくる。嗚呼ジャズ屋梅津和時はやはり面白い。つづく


 10月22-23日 雨/曇り/晴れ  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 志水辰夫『青に候』読了。深く沁み入る清冽な時代小説の実力派志水辰夫なのだが、最初に志水作品を好きになったのはハードボイルド冒険小説だった。『飢えて狼』『裂けて海峡』『背いて故郷』など興奮しながら読みまくったものだ。そんな彼が最初に書いた時代小説がこの『青に候』で、何故か未読だったので読み始めたら、やはりシミタツは面白い。逃走、剣劇、友情、愛情、時代背景などが見事に配置され物語の起伏も豊かに、もうこれは巧いとしか言いようがないのだが、シミタツの一番凄いところは豊かで繊細な感情表現なのだ。所謂シミタツ節。内面のドラマについ感情移入させられてしまう。これも物語読みの醍醐味だ。
 そして23日、あの中越地震から5年。あまりにも大きな揺れと余震の大きさで家に留まる事が出来ず、家族みんなで近所の空き地に非難して夜を明かしたあの夜から5年。あの地震は山間の過疎地に大きな災難をもたらした。あれから5年経ち、多くの学校が閉校となりムラの人口も流出した。新聞に載った震災前閉校前の小さな学校の子供達の記念写真を見ていると涙が溢れてしようがない。あらためてあの震災で亡くなられた人達子供達のご冥福をお祈りします。合掌
梅津和時『FIRST DESERTER 最初の脱走兵
 オフノート・レーベルよりの嬉しい再発盤。'95年、梅津和時がニューヨーク・ダウンタウン派の精鋭達マーク・リボー(g)、ウェイン・ホーヴィッツ(kbs)、トム・コラ(cello)、サム・ベネット(ds)と練りに練り上げたスタジオ録音盤。レーベル・オーナー神谷一義曰く「諧謔と叙情のパスポート〜音楽による世紀末の無銭旅行」だそうだ。梅津和時の音楽家として又プレイヤーとしての凄さは今更言うまでもないが、このメンバーを集めてこの曲という着想の豊かさに驚く。なんでも有りなアヴァン・ポップ・サーカスであり、クレツマーの楽士であり、そこにアイラーやドルフィーやオーネット・コールマンなんかがヒョコッと顔を出す。刺激的かつ凄く楽しい!だけど売れないんだろうなあ...。 


 10月19-20日 晴れ/曇り  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 1968年のアングラ(アンダーグラウンド)ブームはフォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」の大ヒットにより引き起こされた。当時日本の流行音楽は歌謡曲とGS、そんな中でフォークはプロテストな面を打ち出して反権力の歌として少なからぬ若者達の共感を得ていた。
 そんな若者達は主流じゃないものを求めたのだ。TVやレコード店では歌謡曲とGSしか扱っていない時代に、若者達はラジオや集会で、自分達の歌としてフォークを選び取った。あの頃は音楽でも演劇でも映画でも文学でも、アングラなもの所謂カウンター・カルチャーが存在し、それを熱く支持する若者達が少なからず存在した。メジャーでないものにも注目し大切にした時代だった。
 俺だって、けして親が聴かない音楽としてロックやフォークをラジオの深夜放送で聴き親しんでいた。世間的に売れてない音楽にも素晴らしい音楽があると知ることで、俺の音楽捜しの旅は始まったのだ。
 '70年代'80年代と時代が進む中でフォークもロックも反権力の志を忘れ商業的に売れることを目指し、ニューミュージック〜Jポップという名で歌謡曲化して旧来の歌謡曲を駆逐したところで、すでにカウンター・カルチャーは見る影も無くなってしまった。勝ち組負け組、メジャーでなければTVに出てなきゃ用無しの価値観の中、マイナーで素晴らしい作品を作り続けることは困難になりつつあり、前衛な表現者は逼塞状態にあるように思える。
 俺が20代の頃、この地方でもプロアマ問わず無名でもロックやフォークのコンサートに多くの若者が集まってくれた。自分達でコンサートを立ち上げチケットを自分達で売った。今ではTVに出るような有名人でなきゃ人は集まらないし、アマチュア・バンドは自分達でライブを立ち上げることなく、安易に官製イベントなど既成イベントへの出演で良しとしているような状態だ。
 加藤和彦の自殺の原因など判るわけもないが、彼のようにメジャーな存在でいながら常に前衛として日本の音楽を牽引してきた者の自殺が、今日本で音楽に携わってる多くの人達に、重く苦しい波紋を広げているように思う。合掌
加藤和彦『うたかたのオペラ』LP盤
 ドーナツ盤じゃないけど尊敬する加藤和彦を追悼して大好きなLP盤を聴いている。『うたかたのオペラ』は1980年作品、西ベルリンのスタジオ=ハンザ・バイ・ザ・ウォールで録音された。演奏者は大村憲司、細野晴臣、高橋幸宏、矢野顕子、坂本龍一、岡田徹、清水信行といった当時の最高級(もちろん今でも)な面々。『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル・エキセントリック』というヨーロッパ三部作の中の一作で、同じベルリン録音だったデヴィッド・ボウイの『ロウ』への対抗意識が伺える。ヨーロッパ人ボウイほどの重い翳りのあるサウンドにはならず、こちらはノスタルジーを美しい旋律で奏でる。もちろん随所にシカケが施され、ダブであったり脱ロックなリズム感であったり。そうそう佐藤奈々子のウィスパリング・ヴォイスが絡む「ケスラー博士の忙しい週末」は当時俺のフェイヴァリット・ソングだったなあ...。♪Doctor Katoh's Weekend 人生を語りつつ 踊りあかす Every Saturday Night... なんて感じで踊り続けていて欲しかったな。


 10月17-18日 晴れ/曇り  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 18日、我が家の一大行事である祖父母の三十三回忌&父の三回忌法要を無事終えた。ふぅ〜お疲れ様でした〜俺。そんな法事前でばたばたしていた17日、夜のニュースで加藤和彦の訃報を知り、なんともいえない悲しみを覚えた。悲しみを誰かに伝えたくて友人にメールした。「加藤和彦が音楽の神様になった夜:加藤和彦は日本のフォークとロックの天皇だと俺は思っていたんだよ。 権力とか権威とかヒット曲がたくさんあるという意味じゃなくて加藤和彦は日本のフォークとロックの世界で一番偉い人だと俺は思ってた。だから加藤和彦は老衰でしか死んじゃいけなかったんだよ。あの才人加藤和彦にしても今の日本の音楽状況の中じゃ生き甲斐を見つけだせなかったんだと俺は思う。」と書いた。
ジリオラ・チンクェッティ「つばめのように」EP盤
 シルヴィ・バルタン「悲しみの兵士」
EP盤
 
ダニエル・ビダル「カトリーヌ/天使のらくがき」EP盤
 
ドーナツ盤日記。'60-'70年代の洋楽ヒット曲にはヨーロッパの歌姫達が多く登場した。その代表がイタリアのジリオラ・チンクェッティとフランスのシルヴィ・バルタン。
 当時はアメリカのグラミー賞と同じくらいいやそれ以上に日本で人気だったのがイタリアのサンレモ音楽祭で、ジリオラ・チンクェッティはそこで大賞を数度受賞するなどカンツォーネの大スターであり、「雨」のヒットで'日本でも人気者だった。「つばめのように」は'70年のヒット曲でジャケット写真は来日時のものらしい。
 あのバルタン星人の語源とも言われるシルヴィ・バルタン(彼女はバルタン星人がきらいだそうだ(笑))はブルガリア生まれで10歳でパリに移住、もちろんフレンチ・ポップスの大スターであり、なんてったってアイドルである。今もTVCMで「あなたにとりこ」が流れているし、「アイドルをさがせ」などよくCMに利用されている。ハートをコチョコチョくすぐられる心地よさが彼女の歌にはあって、オシャレさもエヴァーグリーン。ただし'70年のヒット「悲しみの兵士」はちょっと社会派で勇ましい。
 ダニエル・ビダルのこの曲も'70年のヒット曲でなんと日本語盤。たしか本国フランスより日本での人気が高くて、日本でアイドルタレントとして活躍していた。フランス人形のように可愛らしくて、思春期の俺なんかもうメロメロだったぜ(笑)。


 10月15-16日 晴れ  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』読了。きちんとしたステレオ・セットでフィル・スペクターや大瀧詠一のロンバケを聴いたことがある人はわかると思うけど、左右のスピーカーの前面に立ち現れる四角い音の塊、ぎっしりと詰まった音像空間と圧倒的な音圧。『コインロッカー・ベイビーズ』を開き読み始めた時に感じたのはまさにコレ。四角いスペースにぎっしり詰まった文字の圧倒的量感。行間なんか読ませないぞと押し寄せてくるイメージの洪水。これは小説家が、文字で言葉で読者を圧倒しようとする試みの小説だ。暴力的であると共に詩的でありファンタジーでもある。本書が新刊として登場した当時、俺は村上龍のマッチョぶる押しつけがましさがキライで話題だった本書をパスした憶えがあった。あれから二十数年経ち、予定調和的日常をのほほんと生きながらも、ナニカがタラナイタラナイタラナイ...と無い物ねだりな俺にカツを入れるつもりで(それほどのイキゴミじゃないんだけど...)『コインロッカー・ベイビーズ』を手に取った。そして圧倒された。俺には今はこっちの村上さんの方が身近に思える。
ドーン「ノックは3回」EP盤
 リン・アンダーソン「ローズ・ガーデン」
EP盤
 
相変わらずドーナツ盤の日々です。しかも店内で。かわいい電蓄で懐かしのヒット曲を楽しむオシャレな村のよろず屋とかで新聞に載るかも...いや載らないよな(笑)。
 「ノックは3回」は'71年の大ヒット曲で、これも同世代ならきっと耳に残っている曲だと思います。ドーンというのはトニー・オーランドの覆面バンドで、かれはこの後「幸せの黄色いリボン」の大ヒットによりアメリカの国民的歌手となりました。「ノックは3回」は今でも時折TVで耳にします。軽快なブラスとギターによるマリアッチ風味に女性コーラスにストリングス。曲もアレンジも抜群に良いし、その上当時のヒット狙いドーナツ盤としては珍しくドラムの音がクリアでタイトで良い音なんですよ。まさにヒット・ポップスの鑑のような曲です。
 リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」も同じ'71年のヒット曲。作曲は'69年のグラミー男ジョー・サウス。B面の作者はクリス・クリストファソンでレーベルはCBSという重たい陣容。つまりこの当時彼女はすでにカントリーの世界ではチャートの常連として多くののヒットを持つスターだったわけですね。俺はこの曲を聴くと南沙織を想い出すんだけど、ハワイ生まれの彼女はこの歌を上手くもちろん英語で歌えたはずで、それをTVかなんかで聴いたのかな。そう思えば「十七歳」もどこか「ローズ・ガーデン」に似ているなあ。


 10月12-13日 晴れ/曇り/雨  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

京浜ロックフェスティバルヘ行ってきたのだ!
 
対岸の羽田からはひっきりなしに旅客機が飛び立ち、河口を行き交う作業船と目の前の東京湾。田舎者にはこの景色だけでもお土産になるねって感じ。この京浜ロックフェスの会場は川崎市の東扇島東公園。こんなノンビリとした心地良いアットホームな感じの野外フェスは初めて。フェスのプロデューサー久保田麻琴のノンビリズムが反映された感じかな。最前列のお客さんもみんなシート敷いて飲み食いしながら演奏を楽しんでいて、オールスタンディング&全員熱狂腕振りライブに疲れを感じる俺達おじさんロッカーには、なんとも優しいロック・フェスなのでした。
 出演は上の写真の人達の他には内田勘太郎、あがた森魚、オレンジ・カウンティー・ブラザーズ、キセル、音羽信with夕焼け楽団1/2といったどちらかと言えばオールド・ロッカーの落ち着いたステージが多かったですね。でも若手のグッドラックヘイワのようなピアノ&キーボード+ドラム&口笛という意表を衝く編成の二人組にはメウロコものの楽しさと新しさがあったし、キセルの涼しげな歌世界も味わいがあった。
 そもそも俺がこのフェスに惹かれたのは、もちろん出演メンバーなわけで、凄い偶然というか20代の頃に俺がやっていたバンド " サンセット・レビュー" がカバーした曲が、久保田麻琴&夕焼け楽団の「バイ・バイ・ベイビー」であったり、鈴木慶一の「髭とルージュとバルコニー」であったり、オレンジ・カウンティーの「リンダ・ベル」であったり、なんといっても俺の『チャンキー』は細野晴臣師から授かった(勝手にね)ものだし、ということで俺にとっては外せないメンツのロック・フェスだったんだよね。もちろん友部正人さんとは20年来の親しいお付き合いだし。

 
細野さんを生で聴くのは2度目なんだけど、とにかくこの御大はいるだけで凄い存在感。歌う名優って感じ。飄々として粋で和やかなんだけどちょっとコワイ(笑)。その音楽はサーカス一座に付いて町を廻るメディスン・ショーの一座って感じ。久保田麻琴も参加してハリー&マックの再現。ふたりが歌ったザ・バンドも緩くて味わい深かった。対抗して(笑)鈴木慶一はクレイジーホースの「もう話したくない」を歌ってくれたな。
 友部さんはこうした大きな会場だと断然メジャー感を発揮するから凄い。フジロックでも実証ずみだったけど、今回の東京ローカルホンクをバックに歌う姿はほんとディラン&ザ・バンドみたいでかっこよかったなあ。
 「隣の羽田からやってきたザ・スズキです」と赤いベレー帽の慶一君が言って始まったムーンラーダーズ1/2。博文君歌う「くれない埠頭」を聴きながら背景の河口の町を眺めた。この風景がライダーズの原点なのかと勝手にしんみり。陽が落ちて海風が冷たく感じられた頃にラストのあがた森魚が登場したんだけど、帰りの新幹線に間に合うように急いで会場を後にした。あがたさんゴメン、俺も心残りだったよ。


 10月11日 雨/曇り/晴れ  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 18日に我が家では3回忌と33回忌の法事をやるので少しづつ家の中の掃除をしている。今日はお風呂を磨いた。タイルの目地や窓枠の黒ズミだけど、洗剤を使ってもTVCMのようにキレイに落ちないのはどうしたことか。久しぶりに頑張ったので腕が疲れたぜ。今ギター弾けと言われてもムリだな。
エジソン・ライトハウス「恋のほのお」EP盤
 カフ・リンクス「トレイシー」
EP盤
 
中学生の頃に買って聴いてたやつですね。当時はトランジスタ・ラジオから流れる洋楽ヒットがお気に入りで、聴いた曲を忘れないために、ラジオに手製の小さなノートを括り付けておいて、それにメモしていました。あの頃から熱心だったのだ(笑)。だからこの「恋のほのお」とノート書いたことは今でも憶えている。値段は400円(もちろん税込)で「すてきなバレリ」の370円より高くなってる。68年から70年の間に値上がりしてるんだね。「恋のほのお」も「トレイシー」も当時ラジオを聴いてた同世代なら誰でも知っている(と思う)ヒット曲で、両バンドともそれ以降の記憶に残っていないから、当時たくさんいたポップな一発屋だったのかな。きれいなメロディーの良い曲で、こうして多くに人の記憶に残ってるわけだから一発屋だって大当たりってもんだよ。


 10月9-10日 曇り/晴れ  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 

 突然発作的にポータブル・レコードプレイヤーが欲しくなって、それもできるだけチープで可愛いやつが欲しくてヤフオクで探してコイツをゲット。日本コロンビア製でコーネリアスの所謂アーティスト・モデルなのでスケルトン・ボディでオシヤレな感じ。さっそく音をだしてみると想像通りチープに音楽が流れてきた。俺もレコード・プレイヤーで育ったから違和感はないけど、レコード針なんかもの凄く頼りないしここまでシンプルというかオモチャみたいなプレイヤーは初めて。でも何度も聴いてるうちに耳に馴染んでくるから不思議。
 それではこれからしばらくは、ポータブル・レコードプレイヤーによるドーナツ盤日記といきましょう。新盤を買うお金も乏しいしね。
ザ・モンキーズ「すてきなバレリ」EP盤
 メリー・ホプキン「悲しき天使」
EP盤
 
俺のハジレコ(初めて買ったレコード)はこのザ・モンキーズの「すてきなバレリ」で'68年。小学校の5.6年の頃にTVで「ザ・モンキーズ・ショー」をやっていて凄く人気があったんだよね。「デイ・ドリーム」「アイム・ア・ビリーバー」「モンキーズのテーマ」なんか大好きだったけど小学生の頃はまだ自分で買えなくて、それで中学生になってようやく買えたのがこの「すてきなバレリ」。ヒット曲チーム、ボイス&ハートによる曲、素晴らしい速弾きリード・ギターはあのジェリー・マッギー(現在ベンチャーズ)が弾いてるらしいとは後で知った。
 メリー・ホプキンの『悲しき天使』も'68年、彼女はビートルズが設立したアップル・レコードの専属で当時18歳。プロデュースはポール・マッカートニー。デビュー前の彼女はウェールズでフォークを歌っていて、なんとポールのことを知らなかった程素朴な環境で暮らしていたらしい。この曲は当時ビートルズの「ヘイジュード」を1位の座から引きずり下ろしてトップに立ち、世界中で大ヒットしたんだけど、いつのまにかメリー・ホプキンの名は聞かれなくなった気がする。弦のトレモロが印象的なイントロに続いて歌い出す彼女のなんとも温かいそしてすこし寂しげな歌声が今聴いてもじつに良いね。この曲の原曲はロシアかウクライナあたりの歌謡曲だったらしく、旋律がジプシー音楽やクレツマーに似ている。なんて知識はずっと後に知ったのだった。


 10月7-8日 曇り/雨  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 毎月7日の夜は七日会。ムラの同年代が千円札1枚にぎりしめ公民館に集い酒を飲む会なんだが、ここが俺にとって一番和める会であり仲間達だ。幼馴染みであり青年団や消防団で共に汗を流しバカ騒ぎをし、そして今では皆五十路のおっさん達。でもみんなで集まると気持ちは青年団のまま。仲間は大切だよね。
 8日は朝から大型台風18号の情報に釘付け。どうも進路予想だと直撃されそうなので心配したが、長野から群馬に逸れたためか、大雨にも強風にもならずに安堵した。テレビの台風情報でいつも連想するのはあのゴジラだ。最初のモノクロ映画のゴジラ。南海の孤島から太平洋を突っ切って日本に迫り来るゴジラ。台風情報でゴジラの来襲を想うのって俺だけじゃないと思うのだけどどうだろ?
V.A.『STEELIN' IT The Steel Guitar Story』
 
スティール・ギターのコンピュレ4枚組CD。40年代を中心とした3枚目も2枚目の続きのようなカントリー集。最後の第4集は50年代カントリー、ナッシュビル録音の多くでギターを弾いてるのはチェット・アトキンス、そしてペダル・スティールにはバディ・エモンズ。で、本盤で一番の聴きどころはスピーディ・ウエスト&ジミー・ブライアント組とジョー・メンフィスですね。まさに火の玉リック!凄い凄いカントリー・インストの醍醐味。やっぱこの人達は凄いや!


 10月5-6日 晴れ/曇り  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 川上弘美『此処彼処』読了。わずか4ページのエッセイの中からふわっと物語りが立ち上がる、このへんがじつにお見事で、そのほんわかした手触りに隠された才気にほれぼれする。エッセイでもやはりカワカミさんは名手だと思う。
V.A.『STEELIN' IT The Steel Guitar Story』
 
スティール・ギターのコンピュレ4枚組CD。古いハワイアンからウエスタン・スウィング〜カントリー〜ロカビリーな感じで、残念ながら日本が誇る和田弘&マヒナスターズは収録されてません(笑)。和製ハワイアンのムーディーなスティールも良いんだけどねえ。まだ2枚しか聴いてない中ではやはりソル・フーピーが巧い。ソルは戦前ハワイアンの名手で、かつて日本編集の単独盤が2枚くらい出ていて俺も持っているけど、その伸びやかな音色と細かいテクニックが素晴らしい。1枚目は20-30年代のハワイアン、そして2枚目は30-40年代のウエスタン・スウィング。たしかソル・フーピー達ハワイの一座がアメリカ巡業したことで、アメリカにスティール・ギターが広まったという事を読んだ憶えがある。つづく


 10月3日 曇り/晴れ  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 十五夜だね。晴れたらいいな。ススキに団子だな、それと酒も。オリンピックはリオに決定で良かったね。やっぱり初めての国で開催するのがいいよ。それにしてもIOCのオリンピック開催国決定方法ってヒドイね。各国の首相や大統領まで呼びつけておいて、いったいナニ様のつもりなんだろ?どうせ毎回のように委員連中のキタナイ裏工作やら裏取引で決まるんだろうに。
ムーンライダーズ『Tokyo7』
 
さて、オルタナ・キング、ムーンライダーズの新譜だけど、いきなり元気いっぱいだ。やけくそに元気だ(笑)。おいおい大丈夫かい?そんなムリに明るくしなくても...と、こっちが心配になるくらいトバしてるんだけど、中頃から後半に入るとライダーズらしいセンチメンタルな曲も顔を出し、この辺でひと安心。ライダーズはひとりひとりがシンガー・ソングライターでプロデューサーでスタジオ・ミュージシャンだから、普通ならエゴの衝突でバンドが分解しててもおかしくないんだけど、この人達は希有な例かどうかみんなウマが合うんだろうね。常にアヴァンギャルドな精神を持ちながらロックし、半歩進んだポップ・センスをバンドとして披露する、これって大変なことで、だから日本にはライダーズくらいしかいないわけで、それゆえオルタナ・キングなわけだよね。こんなJポップな日本でヒット出さないセンスってのが良いんだよ(笑)。ライダーズって昔からちょっと気を抜けばヒット曲くらい出せたバンドなんだよね。でも出さない、妥協したヒットより大切なモノがあるからだ。昨日書いた清志郎の『ロックで独立する』ってことと似てる気もする。ラスト曲「6つの来し方行く末」にはそれぞれの人生が歌われシミジミ。初老ロックというか、ロックが小津安二郎の世界に入ったというか...なんのこっちゃだけど、けっこう沁みた。


 10月1-2日 晴れ/曇り/雨  体調・普通  アマゾン.com 自粛中!

 忌野清志郎『ロックで独立する方法』読了。ロックで「成功する」でも「売れる」でも「有名になる」でも「女にモテる」でもなく「独立する」というのがモットーだと清志郎は語る。「音楽業界は80年代にマーケティング的にファンの動向や志向を掴もうと必死になって、まあそれなりに成果を挙げたんだろうけど、そのかわりもっと重要なものを見失ってしまった。....もう自分が歌いたいことを歌うのが一番正しいし、健康にもいいんだよ。それがファンであろうとなかろうと、とにかく声が届いた人だけが受け取ってくれればいい。ファンという謎の塊=マスを満足させられる歌があるとしても、そんなものを考えてるヒマはない。...」と語る清志郎。『雨上がりの夜空に』でいきなり売れっ子になり、その後の狂騒をふり返り、結局「成功する」「売れる」「有名になる」なんてのがロックする目的じゃなくて、ロックする魂の独立だと清志郎は言いたいのだと思った。本書の結びでは「現役のロックンローラーとして天寿を全うできるなら、それはそれで最高なんじゃないか」と語る。憧れた「老衰で死んだロックミュージシャン」にはなれなかったけど、忌野清志郎は現役ロックンローラーとして天寿を全うしたんだよ。
ムーンライダーズ『Tokyo7』
 
" 日本のキング・オブ・オルタナティヴ・ロック " と帯で祭り上げられてるムーンライダーズの新作。ライダーズのおっさん達、ついにオルタナ・キングかあ(笑)。まあね33年もやってて、ヒット曲もヒット・アルバムもないし、ましてテレビに出ることも超マレだしね。でもファンの身贔屓は絶大で、" 東京一は日本一 " だったり " 日本一のマイナー・バンド " だったり、ともかくそのライダーズは一番なんだという確信は揺るがない。俺もだ(笑)。つづく


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ロスタイムにご用心  酔んぐしなくちゃ意味ないね While My Guitar Gently Weeps